ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
34/88

えていた「ジパング」、即ち、当時の日本に対する西欧諸国の関心の高さを記す。遠征記には、必ずしも正確ではないが、領域、地理、日本人の起源、政府、宗教、西洋文明諸国との関係、産業技術の進展と文明の水準、文学と美術、自然生産物について解説している。例えば、政府については、「二人の皇帝が並び立っているという奇妙な特徴がある」とし、産業技術の進歩と文明の水準については、「日本人はきわめて勤勉かつ器用な民族であり、製造業の中には、他国の追随を許さないほど優れたものもある。…日本人は外国から持ち込まれた目新しいものを素早く調べて、その製造技術をすぐに自分のものにし、非常に巧みに、また精緻に同じものを作り出すのである。…木材や竹材加工において日本人と比肩しうる国民はない。…日本人が織った絹の最高級品は中国産のものより上質である。」としている。日本の印象については、1854年の二度目の日本訪問の際、条約に基づき開港された下田と函館について、「下田は文明の進んだ街であることが見て取れ、町を建設した人々の衛生や健康面への配慮は、わが合衆国が誇りとする進歩をはるかに上回っていた」とし、箱館では、「実際的および機械的な技術において、日本人は非常に器用であることが分かる。道具が粗末で、機械の知識も不完全であることを考えれば、彼らの完璧な手工技術は驚くべきものである。日本の職人の熟達の技は世界のどこの職人にも劣らず、人々の発明能力をもっと自由にのばせば、最も成功している工業国民にいつまでも後れを取ることはないだろう。人々を他国民との交流から孤立させている排外政策が緩和すれば、他の国民の物資的進歩の成果を学ぼうとする好奇心、それを自らの用途に適用する心構えによって、日本人はまもなく最も恵まれた国々の水準に達するだろう。ひとたび文明世界の過去及び現代の知識を習得したならば、日本人は将来の機械技術上の成功を目指す競争において、強力な相手になるだろう。」という。そして、吉田松陰らの黒船への密航企図事件について、「日本人は間違いなく探求心のある国民であり、道徳的、知的能力を広げる機会を歓迎するだろう。あの不運な二人の行動は、同国人の特質であると思うし、国民の激しい好奇心をこれほどよく表しているものはない。…この日本人の性行を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!」と記述しており、その後の日本の発展を見通しているかのようだ。3フィラデルフィア万博への参加(1876年)国立国会図書館デジタルコレクションより フィラデルフィア万博の日本館(即売会場)明治維新後、日本は万国博覧会を国威発揚の場として活用した。ペリー来航から13年後の明治9年、米国独立100周年を祝うフィラデルフィア万博に、明治政府は、大久保利通を総裁、西郷従道を副総裁とし、1873年のウィーン万博に次ぎ、2回目の正式出品。当時、機械や技術など本来万博で競われるものは未熟であり、出品できないという事情や、当時欧米でジャポニズムブームがあり好評を博することが予想されていたことから、政府はウィーン万博同様工芸品を展示の主要に据えた。ウィーン万博で陶磁器が好評であったこと、この当時アメリカへの主要輸出品の一つが陶磁器であったことなどから、出品された1966点の多くは、工芸品、とりわけ陶磁器である。会場内でも日本の工芸品は人気が高く、それの多くは販売され、155点が褒章を受けた。そのほか製造部門には漆器類、刺繍、扇、生糸、絹糸が出品された。製造物に次いで美術部門、農業部門の出品物が多かった一方、機械部門への出品は無かった。現地での評判は、とりわけ陶磁器などの工芸品への展示物への関心が高く、日本政府館建設のために日本から派遣された大工たちは見物人の人気を博したが、これも日本人そのものと、日本の建築技術、技法への珍しさからの人気であったという。30 ファイナンス 2019 Oct.SPOT

元のページ  ../index.html#34

このブックを見る