ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
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1はじめに その訃報に接して ―ドナルド・キーン(コロンビア大学教授)(1922年‐2019年))インタビューに答えるキーン氏(2012年9月26日)ドナルド・キーンへのインタビューに基づく『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』(ドナルド・キーン/河路由佳、白水社、2014年)より転載今年、2月、ドナルド・キーンの訃報に接した。かつて、某新聞に連載されていた彼の「百代の過客 日記に見る日本人」、名前からして外国人と思われる著者による、おそらく日本人でもあまり読んだことがなさそうな昔の人の日記を自在に読み解く文章に、ただものではないと思った記憶がある。戦中の米軍日本語通訳・翻訳官としての経験の後、戦中に日本を勉強した、いわゆる日本研究者の「第二世代」として、日本文学研究に志し、その第一人者となった。以来、古典から現代に及ぶ数多くの日本文学の翻訳・紹介を行っており、日本文学の翻訳と著作を通じての日本文化紹介において絶大な貢献。日本文学の研究、海外への紹介などの功績により、1962年、菊池寛賞、90年、全米文芸評論家賞、93年勲二等旭日重光章受章、2002年文化功労者、2008年文化勲章受章。1922年に生まれ、成績優秀で16歳でコロンビア大学に入学したドナルド・キーンが日本に興味を持ったきっかけは、18歳の時にニューヨークのタイムズスクエアの売れ残った本を扱う本屋で、山積みになっていたアーサー・ウェリー訳の源氏物語を、面白そうだという理由ではなく、当時としても「価格からして買い得のような気がして」(2巻セットで49セント)買って読んだことだという。翌年、コロンビア大学で日本思想史を学び始めた年の12月に日米開戦。20歳で、語学の習熟能力によって有名大学の上位5%の学生たちが選ばれたという米海軍日本語学校に入学、11か月の日本語習得訓練では卒業生総代となる。その後、海軍情報士官として従軍。日本軍に関する書類の翻訳、日本兵の日記読解、日本兵捕虜の訊問や通訳などに従事。最初に読んだ生の日本語はガダルカナル島の日本兵の日記だったという。「戦時中、日本の兵士がつけていた日記には、時として耐え難いほどの感動を誘うものがある」と言い、「海軍日本語学校の卒業生で日本や日本人が嫌いな人は一人もいません。…日本人捕虜とは、みんなすぐ友達になりました。」と語る。戦後、コロンビア大学に戻り、日本文学を学び、ハーバード大学、ケンブリッジ大学でも学ぶ。1953年には京都大学に留学。京都では、「能を勉強すれば日本の伝統文化も自然に覚えるだろうと思っていたが、一方、能は難しすぎるのではないかとも懸念して、結局は狂言を勉強することとした。その後、2年半にわたった狂言の稽古は、日本でのすべての体験の中でも、最も楽しい一時だった。」という。1956年には狂言の太郎冠者を谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、八代目松本幸四郎らの前で演じている。1955年「日本文学選集・古典編」、56年に「日本文学選集・現代編」を編集刊行。今日、世界中の多くの研究者がペリー来航以来の日米文化交流と「Japan2019」(上)元国際交流基金 吾郷 俊樹28 ファイナンス 2019 Oct.SPOT

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