ファイナンス 2019年10月号 Vol.55 No.7
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し、大木 健一・民間都市開発推進機構都市研究センター研究理事は、「コンパクトシティをどう考えるか」(Urban Study Vol. 50 平成22年6月)において以下のように指摘していた。「コンパクトシティ(集約型都市構造)は、21世紀の都市が目指すべき方向である。しかし、多くの地方都市において拡散型都市構造は相当程度進行しており、人口が減少し投資余力が低下した現在、このトレンドを逆転させ、短期間にコンパクトシティに作り変えることは困難である。コンパクトシティづくりのためには、中心市街地の商業活性化、公共公益施設の都心回帰、街なかへの居住人口の誘導、郊外の新規開発抑制と土地利用規制強化など、多面的な施策を総合的に実施する必要があるが、各施策はいずれも制約条件を抱えている。コンパクトシティは長期的なビジョンとして位置づけ、現実的な施策を積み重ねていくべきである。また、コンパクトシティとは中心市街地居住者だけが『歩いて暮らせるまちづくり』を享受するものではなく、郊外や周辺農山村地域を含めた都市圏住民全体に貢献し、支持されるまちづくりでなければならない。」同じく、少し古い文献になるが、木下斉氏が代表理事を務める一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスが平成26年5月に発行したArea Innovation Review Mook 011 特集『あのまち、このまちの失敗事例 「墓標シリーズ」』は、青森市のアウガの事例などを取り上げていたが、今読んでも示唆深い。いい事例ばかりが紹介される中、失敗事例を紹介している本書は貴重な教訓の宝庫である。青森市が一時期コンパクトシティのモデルとして取り上げられたことを記憶している読者もいよう。我々は、9回裏逆転満塁ホームランのような劇的な展開を望みがちであるが、ことこの問題については、ねばり強い地道な取り組みが要請されている。特に、地方都市に関連して、田村秀・長野県立大学グローバルマネジメント学部教授(公共経営コース長)は、「地方都市の持続可能性」(ちくま新書 平成30年11月)において、「地域の個性を大事にして地域のあるものに光を当て、それを地域の宝物として住んでいる人たちがちゃんと認識し、磨きをかける、ないもの探し、国や都道府県へのおねだりではなく、地域の魅力の再発見という地味で時間のかかることに取り組むことが一番なのだ。」と喝破している。まさに至言だと思う。「ファーストステップ教養講座 社会学で描く現代社会のスケッチ」(友枝敏雄他編著 みらい 令和元年8月)の「第21章 『人口減少』は地域社会をどう変えるか?」(室井研二・名古屋大学大学院環境学研究科准教授・執筆)では、「ローカルで多様な最適解」という小見出しをつけて、「国家を単位として人口減少問題を考えると将来展望は自ずと悲観的なものになってしまいがちだ。検討される政策課題も、高齢化にともなう医療・年金財源の問題や労働力不足の問題に偏ってしまいがちである。こうした議論は必要なものではあるが、問題が一般的であるため実感をもって考えにくく、対策の選択肢も限られたものになってしまう。それよりも目線を地域社会に移し、地域のレベルで多様な最適解を探すことのほうが建設的かつ現実的であろう。そうしたローカルな最適化解の積み重ねから、サステナブルな社会を実現するための糸口が見えてくるのではないだろうか。」との見解も注目に値するのではないか。先の田村教授の意見とも整合するが、このようなアプローチが真剣に模索されるべき段階ではないだろうか。これからの地方自治を創る実務情報誌として、自治体関係者に定評のある「月刊ガバナンス」(ぎょうせい)令和元年8月号では、「過疎地域の持続可能性」が特集されている。寄稿者の1人の小田切徳美・明治大学農学部教授は、総務省・過疎問題懇談会は、「国全体が人口減少になる中、過疎地域は、より少ない人口で広大な空間が活用される、いわば『先進的な少数社会』である『持続可能な低密度社会』」(「新たな過疎対策に向けて」平成31年3月)を示したことに触れる。また、政府の地方創生策への厳しい批判者として知られる山下祐介・首都大学東京教授は、限界集落がなくならないのは、地方自治体がちゃんと機能し、守っているからだと喝破するとともに、1人暮らしの高齢者でも、家族が支えていることを指摘する。人口減少下の日本社会は、コンパクトシティを理想とはするものの、現実としては、今の過疎地域から想定される空間利用が、日本の国の中で多く現出するこ ファイナンス 2019 Oct.17人口減少社会における地域活性化に係る諸機関の連携とそのガバナンスについて(試論)~沖縄公庫の実践例を踏まえて SPOT

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