ファイナンス 2019年9月号 Vol.55 No.6
82/94

・ポスト=マルサス型(Post-Malthusian Regime) 19世紀の産業革命期の社会。工業面での技術革新により技術水準の成長が加速。生産の上昇の一部が人口成長の加速に打ち消されるが、所得は上昇する。・近代成長型(Modern Growth Regime) 20世紀、産業革命後の工業社会。所得と人口成長の正の相互関係が逆転。人口成長が鈍化する一方、持続的な所得の成長が実現する。死亡率が経済成長に応じて改善すると考えると、各社会制度間の移行過程は初めに解説した多産多死から少産少死への人口転換に対応する事がわかる。即ち、マルサス型は多産多死型社会、ポスト=マルサス型は多産少死型社会、近代成長型は少産少死型社会に対応する。Galor and Weilの一連の研究は経済学的な観点から、少子高齢化と経済成長はコインの表裏のような現象である事を指摘する研究であり、人口経済学の長期議論を構成する。2.4 人口の短期モデル:相対所得仮説Becker(1960)に始まるこれまでの議論は、各家計が子供をどれほど需要するかといった選好は異時点間で一定であるとの仮定を置いていた。また、Becker(1960)は終戦後に進行した少子化のみを取り扱い、終戦直後における極端な多産(所謂ベビー=ブーム)は議論の対象とはしていない。また、ベビー=ブーム期においては教育水準の上昇や女性の労働力率の上昇が観測されており、これらはBecker(1960)の枠組みでは説明できない問題とされていた*25。Beckerらとは異なる枠組*26の下でこの現象に説明を与えようとしたのがEasterlin(1961)による相対所得仮説(Relative income hypothesis)である。相対所得仮説は、家計が子供を出生するか否かの選択は家計の潜在的な稼得能力と生活の豊かさ(物的資源)への願望の比率によって決定するという説である。現状の稼得能力は「将来」の生活水準を考える上での重要な指標である一方、物的資源願望は家計を構*25) 教育水準の上昇は子供の質に対する需要増に対応する為矛盾がある。又、各経済変数の所得弾力性が一定である場合、所得の上昇トレンドの中でベビー=ブームと少子化は両立しない。*26) 冒頭にもあるが、Becker(1960)では家計選好がコーホート毎に一定である事を暗に仮定している。一方、Easterlin(1961)の相対所得仮説では世代ごとに生活水準の経験が異なるので、家計選好も異なっている。この為、Beckerの学派とEasterlinの学派の間には激しい論争があった(Sanderson, 1976)。成する男女が「過去」の成長期にどのような生活水準を経験したかに依存する。したがって、この比率は過去と将来の生活水準の比較とみなせる。例えば、戦後直後に親となる世代は世界恐慌・世界大戦といった経済的に不安定な時期を経験している為、物的資源願望が低く、ゆえに戦後の経済復興期に親となった際に子供が多くなったという議論が成立する。この、現在の稼得能力が将来の生活水準の指標となるという相対所得仮説の考え方から、好況期には出生率が上昇し、不況期には出生率が低下するという景気循環と出生率の関係性が導かれる。一般的に景気循環と経済変数の関係を表したモデルを「短期モデル」というが、この考え方は人口の短期モデルというべきものであろう。実際に、この仮説は日米両国での戦前・戦後におけるベビー=ブームをよく説明する。しかしながら、1980~1990年代における日米での好況期に出生率の上昇はあまり観測されず、このモデルの普遍性はいまだ十分に説明できるまでには至っていない。景気循環と出生率の関係性について、人口学の分野でも実証が進みつつある。Goldstein et al. (2013)は、2007年以降の欧州不況が出生率に負の影響を与えたという仮説を検証する為、2000年~2010年の欧米各国(28か国)の出生率と失業率の関係性を考察している。国別の固有の効果を仮定する固定効果モデルによる検証の結果、失業率と出生率の負の相関(景気循環と出生率は正の相関)が確認された。加えて、(1)若年層への失業率の影響がより強い、(2)第2子以降への影響がより強い、(3)南欧諸国への影響がより強い等の結論が得られている。(3)の要因としてGoldstein et al. (2013)は各国の制度設計が関係しているとの仮説を提示しているが、これを検証したのがComolli(2017)である。この研究は2000年~2013年の欧米各国(31か国)に関する出生率と失業率の関係性の検証に加え、(1)経済政策の不確実性、(2)消費者信頼感指数の指標及び(3)公債リスク指標(10年国債利回り)と出生率の関係性も検証している。結果、消費者信頼感指数の下落及び経済78 ファイナンス 2019 Sep.連載日本経済を 考える

元のページ  ../index.html#82

このブックを見る