ファイナンス 2019年9月号 Vol.55 No.6
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7.不正が後を絶たないのはなぜかなぜ不正は後を絶たないのでしょうか。我が国の場合、報告ないしは開示に関する不正事例が後を絶ちません。もともと私の専門領域は会計と監査です。会計の前提はディスクロージャー、真実の情報を適時適切にタイムリーに発信し、そしてそれを利用する方々が正しい意思決定を行うことができるように保証してあげることです。そういうふうに考えたときに、どのようにして情報は歪められてしまうのか、あるいは、情報が真実なものとしてタイムリーに発信されるためには、どのような建付けが必要なのか、こういうことを考えていますので、報告や情報の開示という観点から見ると、巷で起きている問題と会計の世界の問題とは全く同列で考えることができます。この背景には、情報の作成、提供者サイドにおいて、真実の情報を適切な時期ないし方法によって報告する、あるいは開示することで、自身の責任を審らかにすること、つまり、英語で言うところのアカウンタビリティ(accountability)に対しての自覚あるいは意識を十分に持ち合わせていないのではないか、そういう疑念が私にはあるわけです。8.アカウンタビリティ概念アカウンタビリティは一般的には「説明責任」と訳されますが、それは饒舌に情報発信することではなく、真実かつ客観的な証拠を示して、すべての関係者が納得いく説明を尽くすことなのです。我が国での報告ないし開示に関する不正が後を絶たない背景には、このアカウンタビリティ概念が欠如しているのではないかということです。アカウンタビリティという言葉が、最も頻繁にそして古くから使われている世界は株式会社制度の下であります。株式会社制度の中核は所有と経営の分離です。所有者である株主が資本提供者として、経営の専門家に対して事業活動の運営を任せる。株主としては、経営者に任せた結果、一定の期間が経った時に、どのような事業活動が行われ、どのような成果が生まれたのか、それを説明して欲しいし、そして得られた利益の分配にあずかりたいのです。経営を任された経営者には、受託者として、説明責任であるアカウンタビリティが付着しているのです。まさに会計の本質はここにあるのです。会計は、アカウンティング(accounting)と言います。そこから出てきた言葉がアカウンタビリティです。明治の時代に当時の識者がaccountingを「会計」と訳したのでしょうが、これは明らかに誤訳です。当時、数字ばかり入っている資料を見てこれを「会計」と訳したのではないかと推測されます。そうではなく、accountingの原点は、説明すること、報告すること、さらには責任を負うことです。そのための素材として、財務諸表という数値を使っているだけなのです。今、私がaccountingを訳すとしたら「報告理論」とか「説明学」と訳したいところです。ただ、一般の方々が使う「責任」という言葉は英語ではresponsibilityということになります。「与えられた仕事を履行する責任」すなわち履行責任です。でも、アカウンタビリティの方は「履行するだけでなく、求められている成果を説明する責任であり、誰が責任を取るのか」であり、すなわち結果責任です。このようにresponsibilityとアカウンタビリティはだいぶ違うのです。私の主観的な見方かもしれませんが、日本の多くの関係者はresponsibilityについては責任意識が非常に高いけれども、アカウンタビリティ意識は極めて弱いと思います。例えば、上司が部下に対して「君、明日までにこの仕事をやっておいてくれ。」と頼み、部下が徹夜して翌朝上司にその成果を持ってくると、上司は「君に任せたからそれでいいよ。」と結果も見ない。これでは部下のアカウンタビリティを解除していないことになります。部下にただやらせただけで、アカウンタビリティを履行していないわけです。やらせっぱなし、聞きっぱなしではダメです。私は、アカウンタビリティは全ての業務に付着している責任であると考えます。これは直接的であれ、間接的であれ、少なくとも自分以外の他者に関わりないし影響する業務や任務等を履行する場合には、社会的にも納得の得られるアカウンタビリティ概念が存在しており、「自ら行った業務は適切であり、結果を記したデータは真実のものである」との証が求められるわ ファイナンス 2019 Sep.67職員トップセミナー 連載セミナー

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