ファイナンス 2019年9月号 Vol.55 No.6
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念に本堂左右の柱にある「精進落としの鯉」に触れていかれる。また、巡礼の方が奉納された笈おい摺づるや朱印帳、千羽鶴などが多数置かれている。巡礼というと「古臭い」というイメージを持つ方がおられるかもしれないが、歩くことは健康にいい、おまけに素晴らしい歴史遺産も見ることができる、さらにはスピリチュアルな体験もしたい、という動機から、世界的に見ても興味を持たれる方が増えているように思う。例えばキリスト教の巡礼である「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は現在でも年間約20万人もの方が歩いており、世界遺産にも登録されている。歩く距離も、出発点にもよるが、スペイン国内だけでも約800キロメートル、フランスからだと1500キロメートルを超える。とはいえ、距離からしても歴史からしても、西国三十三所巡りは世界遺産に引けを取っていないと言えるだろう。これからの日本では、健康に気を遣い、自由になる時間もたくさんある高齢者の方が増えていく。したがって、巡礼人口はこれからさらに増えていくことは間違いないと思う。この西国三十三所巡りは、「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」として、本年5月に日本遺産に認定された。これを機会に、多くの方に是非華厳寺を訪れていただきたいと思う。なお、岐阜県の日本遺産は、これまでに「「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」、「高山市 飛ひだのたくみ騨匠の技・こころ」の2件が登録されている。5付つけちきょう知峡渡ど合あい温おん泉せん岐阜県に人里離れた地は数あれど、電気もなく、電話も通じないというのだから、秘境ナンバーワンはここだ、と言っても異論は出ないのではないだろうか。それが中津川市にある渡合温泉である。営業は4月から11月のみ。そのアプローチも半端ではない。車で行こうとすると、中津川市の付知峡口からスリリングなダートの道を含め約40分。付知出身の腕の良い(性格も良い)ドライバーがいたから良かったが、私の運転技術では到底無理だった。「公共交通機関の場合はどうするんですか?」と宿の親父さんに聞くと、「一番近くのバス停から歩いて3時間だなぁ。」と平気で言われる。「あとはタクシーだけど、中津川駅から呼ばなければならないな。」とも。ちなみに、この親父さん、宿から付知峡口まで軽トラで20分で走るとのこと。どんな走り方をしているのやら。この人里離れた温泉宿は、電気が通じてないことを逆手にとって「ランプの宿」として宣伝している。ちなみに電話は衛星電話を設置してある。夜、五平餅、イワナや山菜、「へぼ」などのおいしい地元食をたらふくいただいた後、ランプの灯りの下で、親父さんとの楽しい語らいの時間が持たれる。ロープワークであったり、切り絵であったり、木の棒と紐を使ったマジックであったり。何もないところであるが、親父さんのおもてなしの心が至るところに感じられ、とても暖かな気持ちになれる一夜だった。気軽に行ける場所ではないが、一度は泊まってみていただきたい。さて、この渡合温泉、東濃ヒノキの産地として知られる裏木曽の山奥にあり、以前は林業関係者や土木関係者が泊まることが多かったとのこと。東濃ヒノキ(木曽ヒノキ)と言えば、伊勢神宮の遷宮や法隆寺の心材に用いられる、木材の世界の最高級ブランドだ。江戸時代、裏木曽一帯は尾張藩の管理下にあり、「木一本、首一つ」と言われる厳しい規制が行われた結果、木曽ヒノキは天然林の三大美林の一つと言われるまでになった(あとの2つは秋田スギと青森ヒバ)。なぜヒノキ一色の天然林が出来上がったかというと、もともと江戸時代初期に皆伐に近い状態になったことから、尾張藩がヒノキの伐採を禁止した。その他の木は地元民によって伐採が続けられた結果、ヒノキのみの美林が出来上がったというわけだ。尾張藩の規制が厳しかったことの証左として、加か子し母も明治座がある。岐阜県では伝統的に地歌舞伎や村芝居が盛んであり、明治時代初期には県内各地で芝居小屋が建てられた。その一つが加子母にある明治座であり、建設費用、木材、人夫などすべて地元の人の寄附と労働によって賄われ、明治27年(1894年)に完成している。そこを訪れたとき、天井の立派な一本梁を見て、「ここは加子母ですから、これは地元産のヒノキですか?」と館長さんに聞いたところ、「建設当時はまだ江戸時代の記憶が新しく、木曽ヒノキを伐るなんてことは、地元の人には想像もできないことだった。だからこれは樹齢400年のモミを使っています。」と教えていただいた。このほか、地元の人の寄附によるものとして緞帳がある。「娘引き幕」と呼ばれ、地 ファイナンス 2019 Sep.29「清流の国ぎふ」からSPOT

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