ファイナンス 2019年9月号 Vol.55 No.6
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のだが、地図上ではきちんとした道があるように見えて、実際はヤブコギの連続。国道303号線に出たときは全員気息奄々で、倒れる寸前であった。また、大学時代、徳山ダム上流にあり、福井県との県境にある冠峠を越えたとき、峠にオートバイを停めて、ふらっと冠かんむりやま山に登った。揖斐川の源流であり、遠くからもそのピョコンと飛び出た形で見分けられる秀峰冠山。福井県との間は、冬季閉鎖となるこの林道しかないが、通年通行ができるようにするため、冠峠の下にトンネルを掘る工事が現在進められている。もともとこの地域は「奥美濃」と呼ばれ、山の深さと自然の豊かさで登山者の間では有名な地域である。「日本百名山」を著した深田久弥は、岐阜県からも笠ヶ岳や槍ヶ岳など数多くの山を選定しているが、この地域から「能郷白山」を選ぶかどうか相当悩んだ、という記録が残っている。この徳山ダム上流域の自然環境を保全するため、山林の公有地化を岐阜県は行っている。ダム沿いに付替道路を造るのではなく、民有林約177平方キロメートルを少しずつ岐阜県が取得しているのだ。県議会開催のたびに、山林の取得について議会に議案を提出しているが、令和元年6月議会では、約8ha弱を取得したことの議決を受けた。この結果、累計で90.96%取得したことになる。こうした自然を守る取組を岐阜県及び水資源機構が今日でも続けていることはもっと知られてよいと思う。なお、この上流域に入山する者の数が減ったことから、沢では尺イワナが入れ食いだという話を聞いたことがあるが、アプローチに時間がかかるため、残念ながら行くことはできなかった。いずれ行くことを楽しみにしている。3笠松競馬これまで競馬をしたことがなかったので、初めて笠松競馬場(笠松町)に行ったときは興奮の連続だった。したがって、これから記すことは笠松競馬での経験のみに基づくものであり、一般化できるものかどうかは不明である。まず競馬場に威厳がある。落語で言うところの「時代が付いている」というヤツだ。平たく言うと、施設にかなり年季が入っている。しかし、人の座るスタンドは古くても、馬が走るところはピカピカだ。白砂が一面に撒いてあって、ゴミひとつ落ちていない。ここを馬が疾走していく。そう、意外なくらい近くで、馬が駆け抜けるところを見ることができる。ド迫力だ。とはいえ、柵にしがみついて馬を見ているのは我々ぐらいで、他のおじさんたちは平静だ(おじさん比率はほぼ100%だ)。スタンドから見ると、馬が走るトラックがあり、馬が出走するゲートがあり、ゴールはスタンドの目の前に設定されている。しかし、目を引くのがトラックの中であり、田んぼがあり、畑(ネギ、大根、白菜など)があり、お墓まである。なんと有効な土地利用かと関心してしまった。各競馬場に騎手さんや競争馬や調教師さんが所属するものらしく、現在は笠松競馬に500頭弱の馬がいるそうだ。これまでで一番有名だった馬がオグリキャップ。入場口を入ってすぐのところに銅像が立っている。笠松競馬場への入場者数のピークは1974年だったが、減少の一途を辿っている。一方、馬券の発売金額は1980年をピークに減少していたが、2013年をボトムに回復傾向にある。これはインターネットでの馬券販売の開始に伴うものであり、実際に競馬場には足を運ばなくとも馬券を買う方が増えていることがわかる。しかし、実際に競馬場に出向き、競馬を見ることは、賭け事以上の価値があると思う。まず、混んでいない。ゆったりとした空気の中で、串揚げなどをかじりながら、競馬新聞を検討し、馬券を買う。目の前で馬の疾走を見て、次のレースに挑む。そんなことをしているとあっという間に半日が経っている。昭和のおじさん遊園地という雰囲気を残した笠松競馬場、是非一度体験していただきたい。4西国三十三所巡り日本の巡礼文化というと、四国のお遍路さんがまず思い浮かぶが、実は日本最古の巡礼は西国三十三所であり、約1300年の歴史を持つと言われる。観音様を巡る約1100キロメートルの巡礼であり、和歌山県の青せい岸がん渡と寺じに始まり、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、兵庫県のお寺さんを経て、揖斐川町の谷たに汲ぐみ山さん華厳寺を満願の札所とする。私も何度か華厳寺を訪れたが、威風堂々たる華厳寺にはいつも巡礼装束の方々がお見えになり、満願の記28 ファイナンス 2019 Sep.SPOT

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