ファイナンス 2019年9月号 Vol.55 No.6
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さんの「この辺りには「ずり」がたくさん落ちていて、蛍石もたくさん含まれていますので、探して自由に採ってください。」という号令とともに、石探しが始まる。「ずり」というのは鉱石を掘り出す過程で出た廃石のことだ。ブラックライト(紫外線ライト)で照らしながら石を選別していくが、あいにく雨の後だったので、子供たちは一瞬で泥人形になる。それでも宝石探しは無心になれるもので、大人も子供も時間を忘れて探し続ける。思ったよりもたくさんの蛍石を集めることができた。最後にガイドさんの案内で坑道跡に入る。奥で懐中電灯を消し、ブラックライトを点けると、地面が輝く道になる。以前はここからトロッコで大量の蛍石を運び出しており、それがこぼれたものが積み重なって光る道になったという。また、ブラックライトで天井を照らすと、坑道の壁でポツポツと蛍石が光っている。これはまさに「天空の城ラピュタ」の一場面であり、蛍石が飛行石に、ガイドさんがポムじいさんに見えたのだった(まだ若いが)。このガイドさんは地元の電器店の二代目。人口減少が進む町を何とか活性化させたいと蛍石に目をつけ、一から鉱物のことを勉強し、観光の柱にまで育て上げた人物だ。先のガッタンゴーとともに、地方創生の実例をまた見た思いだった。我々家族はその日、近くにある白川町のキャンプ場(クオーレふれあいの里)に泊まったのだが、もし東京から来られるのであれば、せっかくの下呂市なので、下呂温泉に泊まることを強くお勧めしたい。下呂温泉は、言うまでもなく有馬温泉、草津温泉とともに、日本三名泉の一つ。アルカリ性単純泉で、肌がスベスベになる「美人の湯」とも言われる。温泉が素晴らしいのはもちろんとしても、街の各所にある足湯がなかなかよい。ほどよい広さで、他の旅行者とあっという間に仲良くなれる。「どこから来たの? へぇ、山梨県なんだぁ。信玄てかっこいいよね~。」(←そんな会話をするヤツはいない)などなど。ところでよく聞かれるのが「下呂温泉」という名前について。何しろ「下呂の香り」というキラーコンテンツというか、定番土産まで売っているのだから。このお土産、中に粒あんが入った和菓子でとてもおいしいのだが、何しろ名前が…おっと誰か来たようだ。調べると、昔は下しものとまり留という地名だったのだが、転じて「げる」と呼ぶようになり、その後、下げ呂ろに変化したという。下呂があるからには、上じょう呂ろや中ちゅう呂ろという地名もある。さらには、中上呂とか下上呂というややこしい地名まである。「実際のところ、どうなんですか?」と地元出身の方に聞いたら、「こっちではゲボって言うから、特に何とも思わない。」という答えだった。いずれにしても、トロリとした美人の湯、実際に入って感じていただきたい。2徳山ダム徳山ダムは揖斐川町に位置し、日本一の規模を誇るロックフィルダムである。何が日本一かというと、岩や石を積み上げた堤体積であり、また、6億6000万立方メートルの総貯水容量である。堤体の上に立つとその規模に圧倒されるが、このダムは洪水調節機能、発電機能、用水供給機能を担い、直接・間接に岐阜県のみならず、愛知県・三重県の方々の暮らしの役に立っている。しかし、このダムを造るに当たっては、多くの方々の御協力が必要だった。すなわち、徳山村にお住まいだった8地区約1500名の方に移転していただく必要があったのだ。ダムが如何に必要で重要であるとはいえ、ふるさとを離れ、これまでの暮らしを完全に変えざるを得なかった方々の御苦悩と御苦労は察するに余りある。それらの方々は本巣市などに集団移転され、徳山村は1987年3月31日をもって廃村となった。ダム建設工事の映像を含め、徳山村の移転については、長門裕之が出演した「ふるさと」という映画がある。涙なくしては見ることができない名作であるので、一度ご覧になることをお勧めする。水資源機構の連絡船「とくまる」に乗ってダム湖を巡り、徳山ダム周辺の自然を学ぶ「徳山湖自然観察会」に家族で参加したが、船で解説をされていた方は徳山村出身の方で、ダム湖に沈んでいる小学校のことや、当時の生活のことをいろいろと教えていただいた。個人的にも徳山ダム周辺の地域には思い入れが強い。大学時代、美濃俣丸(岐阜県と福井県との県境にある山)付近の沢登りを計画したのだが、結局、スノーブリッジに阻まれて撤退した。下山しようと、地図を頼りに門入(かどにゅう。先の8地区の一つ)に出た。そこから、また地図を頼りにホハレ峠を越えた ファイナンス 2019 Sep.27「清流の国ぎふ」からSPOT

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