ファイナンス 2019年8月号 Vol.55 No.5
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各地の話題 はじめに「居る所絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく、深林多く、道路は禽きん鹿ろくの小こみち径の如し。千余戸あり。良田なく、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市し糴てきす。(断崖絶壁多く、山深く、道は獣道のように細い。水田はなく、海産物を食べ、朝鮮と日本本土を往来して交易を行っている。)」これは、弥生時代末期(3世紀)編さんの「魏志倭人伝」で紹介された対馬の記述です。ここ、厳原税務署が所在する対馬は、福岡(博多港)まで138km、韓国(釜山)まで49.5kmの距離にある日本海の西の入口に位置しており、対馬から隣国の韓国を見ることができても、日本本土を見ることができないことから、まさしく外洋に浮かぶ「国境の島」と呼ばれています。 国防と交流の最前線(防人が築いた古代要塞・金かなたの田城き)「唐から衣ころも 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来きぬや 母おもなしにして」で有名な防人歌は、ここ対馬で詠まれたのでしょうか、み崎を守る沿岸警備兵として派兵された先人達は、天然の岩塊・城山を利用して、667年に金田城を築き、唐・新羅連合軍の攻撃に備えて警戒に当たったそうです。今もなお、当時の石垣などの遺構がそのまま残っており、山頂からは1300年以上も前に防人が見たであろう水平線を望むことができます。(元寇・蒙古襲来の地)「元寇」と聞くと、日本は神風により侵略を免れたとされますが、ここ対馬においては、1274年の文永の役で甚大な被害を受けた後、7年後の弘安の役でも攻撃を受けた悲劇の島でもあります。中でも、文永の役では、対馬南西部にある小茂田浜沖に、蒙古軍の約900艘の大船団と3万人もの兵が押し寄せ、それを宗家初代当主の宗そうすけ資国くにが80余騎で迎え撃ち全滅したことを弔って、毎年11月に「小茂田浜神社大祭」が行われています。国境の島、対馬厳原税務署 総務課長石山 昌也対馬 ファイナンス 2019 Aug.67連載各地の話題

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