ファイナンス 2019年8月号 Vol.55 No.5
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各地の話題 はじめに佐賀税務署は、明治29年11月に設置され、現在は佐賀県の南部に広がる佐賀平野の中心部に位置する佐賀市、多久市、小城市の3市を管轄しています。交通機関としては、東西にJR長崎本線、南北にJR唐津線が通っており、福岡と長崎を結ぶ九州新幹線西九州ルートの整備計画が検討されています。管内の北部は福岡県に接する北部脊振山系、天山山系から形成され、南部は有明海に面した穀倉地帯であり、北部の山系を源流とする牛津川、嘉瀬川が南部の有明海に注いでおり、温泉地が随所にあります。江戸時代に、豊前国小倉と肥前国を結び海外から伝来した文化や物資を江戸に伝えた長崎街道が佐賀市街を横断していて、街道の周辺には江戸時代から明治期にかけての建造物が残されており、昔ながらの街並みを形成しています。 幕末維新の史跡(薩長土肥)幕末期には、欧米列強がアジアへの進出を強める中、長崎警護を担当していた佐賀藩の第十代藩主、鍋島直正(第10代)は、長崎港で外国の軍船を視察する機会に恵まれました。その際に、西洋の軍事技術の導入の必要性を実感したため、反射炉を築造し大砲を鋳造したほか、理化学研究所や海軍伝習所を設置するなど、佐賀藩を日本最先端の技術と国内屈指の海軍力を有する藩に押し上げました。また、藩校「弘道館」の教育改革を行い、明治維新期に大きな役割を果たした多くの逸材を輩出しています。その一人に、二度の内閣総理大臣を務め、大蔵卿を歴任した大隈重信がいます。大隈重信は天保9年(1838年)、武家屋敷が並び役人や商人が集まる会所があった佐賀城下の「会所小路」と名付けられた地で生まれました。現存する生家は武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されています。大隈重信旧宅(生家)〔提供元:佐賀市大隈重信記念館〕佐賀城は佐賀藩35万7千石の居城で、別名「栄城」、「沈み城」などとも呼ばれ、鯱の門及び続櫓は、現存している唯一の建造物であり、昭和32年に国指定重要文化財となっています。また、日本で初めての実用蒸気船「凌風丸」が建造された三重津海軍所は、佐賀藩が安政5年(1858年)に設立した修船・造船の施設で、洋式船による海軍教育のための教育・訓練機関も兼ね備えていました。その跡地である三重津海軍所跡は、「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、平成27年に世界文化遺産に登録されました。そのほか、「幕末・維新期の佐賀」の歴史を検証し新しい郷土発展の源泉となる施設として、佐賀城本丸跡に開館した歴史館は、天保9年に完成した佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元したもので、近世城郭の本丸御殿の復元としては日本初のものとなります。また、木造復元建物としては国内最大級の規模を誇がばい街 SAGA佐賀税務署 総務課長谷 修良佐賀 ファイナンス 2019 Aug.65連載各地の話題

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