ファイナンス 2019年8月号 Vol.55 No.5
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料は労使折半で、国庫負担は給付費の1割とされた。支給開始年齢は55歳で、死亡に至るまで支給される終身年金であり、生存リスクに備える保険の機能を有するものであった。保険料と給付はともに所得比例であり、明示的な個人勘定は設けられていないものの、保険機能以外の世代内移転は発生しない制度であった。1944年には労働者年金保険法が改正され、厚生年金保険法に改称された。3.2 新しい厚生年金保険制度改称から10年を経て、1954年5月に厚生年金保険法の全面改正が行われた。老齢年金の支給開始年齢は55歳から60歳に引き上げられた(男子のみ)。ただしこれには、20年間の移行期間が設けられた。国庫負担は、給付費の15%に引き上げられた。また、いわゆる5年ごとの財政再計算の規定もこの全面改正の際に置かれた*11。この全面改正においては、財政方式の転換も行われた。その背景の一つに、戦後の激しいインフレが挙げられる。この負担を和らげるため、1948年に、給付水準を維持したまま保険料率を暫定的に引き下げる改正が行われた。その保険料率を引き上げようとした際、労使双方から反対があり、結果として保険料率は据え置かれることとなった。これによって保険料の不足が発生するが、その不足分は後の世代の保険料から賄われるため、世代間移転が発生することとなり賦課方式の要素が加わった。つまり、この時点で財政方式が修正積立方式へ転換した。また、給付に定額部分が設けられたことから、高所得者から低所得者への移転(世代内再分配)が発生することとなった。3.3 国民年金制度の創設(国民皆年金)1959年4月には国民年金法が公布され、国民年金制度が創設された。既存制度の未加入者を対象としたもので、これによって全ての国民が公的年金制度の対象となった(国民皆年金)。老齢年金の支給開始年齢は65歳で、保険料の2分の1に相当する額(給付費*11) 吉原・畑(2016)pp.22-23を参照。*12) この時点で、国民年金、厚生年金保険のほか、船員保険、国家公務員共済組合、市町村職員共済組合その他地方公務員の退職年金制度、私立学校教職員共済組合、公共企業体職員等共済組合、農林漁業団体職員共済組合があった。*13) 吉原・畑(2016)p.65を参照。*14) 吉原・畑(2016)p.244を参照。*15) 全国消費者物価指数が前年度の値の105/100をこえ、または95/100を下るに至った場合においては、その比率を基準としてその翌年度の1月以降の年金給付の額を改定する措置を講じなければならない旨が明記された。の3分の1に相当)が国庫負担で賄われた。既存の高齢者世代への給付は福祉年金と名付けられ、給付費の全額が国庫負担で賄われた。国民年金もまた、完全積立方式でスタートした。給付額は保険料納付期間に依存するため、旧厚生年金と同様に、最後の世代から最初の世代への世代間移転は発生しない構造であった。また、保険料と給付がともに定額であることから、高所得者から低所得者への世代内移転も発生しない制度であった。1961年11月には通算年金通則法が公布され、公的年金制度間*12の通算制度が創設された。3.4  給付水準の引き上げと物価スライド制の導入3.2で触れたとおり、厚生年金保険は1954年の全面改正に伴い、5年ごとの財政再計算の規定が置かれた。1960年に第1回、1965年に第2回の財政再計算が実施され、いずれの際も給付水準の引き上げが行われた。1966年には国民年金の第1回の財政再計算に伴い、国民年金の改正が行われた。この改正によって、財政方式が早くも完全積立方式から修正積立方式に改められた*13。財政再計算に伴い老齢年金の給付水準が引き上げられた一方で、それに見合う水準まで実際の保険料を引き上げられなかったため、段階保険料方式による修正積立方式がとられることとなったのである*14。その後、1974年に予定されていた財政再計算が1年繰り上げて1973年に実施され、物価スライド制の導入などを柱とした改正が行われた。国民年金や厚生年金の共通する規定として物価スライド制が法律に明記された*15が、これは年金財政に大きい影響を与えることとなった。積立金の運用金利が物価上昇率や賃金上昇率よりも低い場合、それらを反映する形で事後的に給付水準を引き上げると、保険料による積立金だけでは財源が不足すると考えられる。そして、その不足分は後の世代の保険料で賄うこととなる。つまり、それまでに厚生年金・国民年金はいずれも段階保険料方式への移行によって賦課方式の要素を強めていた60 ファイナンス 2019 Aug.連載日本経済を 考える

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