ファイナンス 2019年8月号 Vol.55 No.5
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は受入れ難く、企業は労働コストの固定費化を嫌うことになるが、その結果として生まれたのが、企業の海外への事業活動のシフトと非正規化の進行である。前者の下では付加価値の多くを占める賃金が国内で発生せず、利子配当という形での分配が国内経済に回帰する保証はない。後者は、雇用の安定性も賃金水準も低い大量の非正規雇用の出現という社会の分断を生みかねない状況をもたらした。仕事ではなく労働者を守るスウェーデンのシステム著者はこうした状況から脱却し、企業が国内に投資し、国内で価値を生産するようにするためには、労働者が終身雇用に頼らざるを得ない現在の社会システムの抜本的な見直しが必要であるとする。その際の理想形として提示するのがスウェーデンのシステムである。著者及び同書中の宮本太郎氏のコラム(「スウェーデンはいかに公正と競争を両立させてきたか」)によれば、スウェーデンは、同一労働同一賃金の徹底、低生産性の企業を守らない抑制的な経済政策(日本は雇用を守るため雇用調整助成金等により生産性の低い中小企業を保護する政策をとっている)、職業訓練などによって生産性の低い企業から生産性の高い企業へ労働者を移動させていく積極的労働市場政策により、競争性のある企業と高い経済成長を達成してきたとする。国民負担増と高齢世代から現役世代へのリソースシフト我が国がこうした企業に雇用を守らせる政策から直接的に労働者の自立を支援する政策にシフトするためには、具体的には何が必要なのであろうか。それを端的に示すのは、p152の「社会保障給付費・非社会保障給付費(対GDP)の国際比較(2009年)」の図である。同図には、政府の社会保障給付費及びその高齢者施策とそれ以外の内訳(GDP比)の日本、スウェーデン、米国間の3か国比較が示されているが、我が国は小さな政府である(p74にあるように、日本の国民負担率は約40%と米国の30%台に次ぐ低さである一方、スウェーデンは60%台と高くなっている)にもかかわらず、日本の社会保障給付費中の高齢者施策(年金・医療・介護)はGDP比16.3%と、極めて大きな政府であるスウェーデン(同15.7%)よりも高くなっている。その一方で、現役施策は日本は同5.0%であり、日本よりも小さな政府である米国の同7.9%よりも低くなっている。我が国は、国民負担率を引上げると同時に、高齢者向け施策を削減することによって、現役施策を抜本的に強化できることが強く示唆される。本書には上記のほかにも、諸外国と異なり日本では高齢者の資産は死ぬまで増え続けること(p158)、17歳以下の子供のいる家計、すなわち働き盛りの家計の貧困率(平均所得の半分以下の所得の家計の比率)は所得再分配前に比べ再分配後に上昇すること(p160)などいかに我が国の公的制度が高齢者に手厚く、現役世代に対するケアが薄いかを示す刺激的なデータも提示されている。本書の主張についてどう考えるべきか以上のような本書の主張は極めて簡潔でそれを裏付けるデータも数多く提示されている。これまで日本経済の長期低迷をこれほどはっきりと終身雇用に起因するものと論じたものは、余りないであろう。たまたま評者も最近日本経済の長期低迷を分析する本(『日本経済長期低迷の構造』東大出版会)を書いたが、同じ問題を扱っていながら、低迷のメカニズムについてかなり異なる理解となった。評者はバブル崩壊後の過剰資産・過剰負債の処理に2000年代半ばまで約15年を要し、その間新規投資が抑制され、かつ90年代後半の金融危機により企業が賃金削減と非正規化を進めたことから、投資に加え、消費の成長寄与も低下し、更に長期の低成長で低い予想成長率が定着したことがこの30年の低迷の基本的メカニズムであり、近年はこれに加え、人口減少予想が国内投資・賃金引上げの抑制要因となってきていると理解した。しかしながら、処方箋にはかなり共通するところが多い。現在の日本は、正規という内部者の利害を軸とし、価格競争に力点を置く企業の行動が、職の不安定性の高い非正規の増加と賃金抑制による消費の成長寄与の低下といった形で社会的な外部不経済や自己実現的な低成長を生んでおり、これを打破するためには、社会全体での人的資源の育成と活用の仕方の根本的な見直し及び若年層や将来に向けた資源の抜本的シフトが必要である。雇用の安定性についての見方は異なるが、企業の支援から労働者の支援への大胆な政策シフトを打出している点において著者の主張に強く賛同するものである。なお、著者は、長く大蔵省(現財務省)及び内閣府において行政の第一線で要職を歴任してきており、その経験や知識は本書のいたるところにちりばめられている。日本経済社会の再構築、そのために必要な措置について重要な示唆を与えてくれる好著であり、是非ご一読をお勧めしたい。 ファイナンス 2019 Aug.39ファイナンスライブラリーライブラリー

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