ファイナンス 2019年7月号 Vol.55 No.4
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批判を引く。「官僚制」に一刀両断的な回答はないようだ。「ジレンマに直面して、安直に結論を出さず、そのせめぎ合いのなかで考え、判断する」という政治的「思考」の重要性をあらためて我々に投げかける。第6章〔西洋政治思想史〕「敗戦の経験とデモクラシー―戦後日本の一つの思想的伝統」(平石耕・執筆)は、日本における西洋政治思想史研究の少なくとも一部は、第二次世界大戦における自国の敗戦という強烈な体験を起点に据え、そこから戦後日本のあるべき姿を構想しようとする切実な問題関心に支えられていたと指摘する。一例として、戦後の東大政治学を代表した福田歓一をあげる。敗戦直後の親泊朝省、太宰治、坂口安吾、石川淳、竹山道雄らの、個人と国家をめぐる考察や文学を紹介し、さらに、中野重治から、60年安保時代の小田実と林房雄などの対立点を紹介する。「敗戦の体験を『個人原理』にまで高め、それを戦後日本のデモクラシーの原理として土着化され伝統化しようとした試み」は、まさに丸山真雄が喝破したように、きちんと内在化されないまま、ただそこに積み重なっている、という感想を持つ。今年は、江藤淳の没後20年で、関連した出版物も出され、先般は、「敗戦後論」の加藤典洋が死去した。まさに、この問題を考える大きな機会ではないかと思う。第7章〔日本政治外交史〕「戦後日本外交入門―日中国交正常化を事例に」(井上正也・執筆)は、「戦後処理」外交のうち、日中関係の重要性、現代日本外交への示唆という観点から日中国交正常化を取り上げている。井上教授は、これで何が合意されたかについて、「安保問題と台湾問題をめぐる『不同意の同意』が成立した」という。この日中関係を「1972年体制」といい、しかし、90年代以降、合意の核心であった安保問題と台湾問題が揺らぎ、ついで歴史認識問題も争点化したとする。しかし、いろいろ課題は残したとはいえ、日中国交正常化の意義は否定されないという。第8章〔西洋政治史〕「ロシアにおける第二次世界大戦の記憶と国民意識」〔立石洋子・執筆〕は、独ソ戦で国民の7~8人に1人にあたる約2600万人という犠牲者を出したソ連・ロシアについての、体制転換前後も含む、戦争の記録・記憶の収集・保全・継承について、さまざまな新たな知見を与えてくれる。このような取り組みが継続していることに、ロシアにおける市民社会の形成が寄与しているとする立石助教の考察には共感する。第9章〔比較福祉政治〕「生活保障システムを比較する」(今井貴子・執筆)は、冒頭、製造業・建設業から情報・サービス産業への産業構造の転換を、缶コーヒーからペットボトル入りコーヒー飲料への人気の移り変わりを例に活写する。ここで、「比較福祉政治」とは、生活保障がもたらす「世界」のあり方とそれを形作る政治を取り上げ、その多様性と共通点を比較する学問領域だという。この枠組みから、「自由主義レジーム」、「保守主義レジーム」、「社会民主主義レジーム」まで簡潔に解説がなされる。その上で、新しいリスクの登場が提起される。労働市場と家族の変化にかかわるリスクであり、所得の喪失やケアの危機に多くの人が直面し、「社会的包摂」という政策概念が登場してきたことが丁寧に説明される。第10章〔アメリカ政治〕「政治不信の高まりと政治的分極化」(西山隆行・執筆)では、オバマとトランプ両政権の事例を参照して、大統領選挙においてアウトサイダー候補に政治的期待の高まりや、アメリカで深刻化している政治的分極化について分析を行う。連邦議会では現職が再選される構造的な理由があり、変わらない連邦議会に対抗する役割が大統領に期待されるという。また、政治的分極化については、移民・不法移民問題、銃規制、医療保険、地球温暖化、人工妊娠中絶、税、自由貿易、同性婚、マリファナ合法化、テロ防止と市民的自由の擁護など様々な論点について政党間のコンセンサスが欠如してきているという。なお、政治的分極化についてのメディアのかかわりについては、最近出た「『現代アメリカ政治とメディア』(前嶋和弘、山脇岳志、津山恵子編著 東洋経済新報社)も分極化の過去・現在・未来を展望する好著である。第11章〔ヨーロッパ政治〕「変貌するドイツ政治」(板橋拓己・執筆)は、2015年のドイツでの「難民危機」に端を発する現在の不安定な政治情勢について、それ以前から「移民国家」としてのドイツのあり方が動揺していたことや、Afd(ドイツのための選択肢)なる右翼政党の躍進がメルケル政治の鬼子であるとの指摘には説得力がある。第12章〔アジア政治〕「中国から政治を見る」(光田剛・執筆)は、儒教における「封建制」(王から庶民までが、いわば「心の通い合う関係」でつながっている制度)は、そもそもから時代遅れであったが、「最初から時代遅れの思想は、何があっても古びることはない」との卓越した洞察には舌を巻いた。この「封建」の思想は、それを担う紳士層の改革の理念として、1910年代まで生命を持ち続けたという。ただ、その後の孫文や毛沢東の革命思想からも、中国において、「個人の自由」という発想は、出ていないという。以上、「教養としての」ということを表題に掲げた本書の内容について私見を含めて紹介してみたが、新書としては分厚いが、その狙いは通読すれば達成する可能性は極めて高いと感じた。ぜひ、魅力的な執筆陣の力作について一読をお勧めしたい。 ファイナンス 2019 Jul.51ファイナンスライブラリーライブラリー

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