ファイナンス 2019年7月号 Vol.55 No.4
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巻頭言津田梅子と新五千円券津田塾大学学長髙橋 裕子1981年、私は文部省の奨学金を受給しアメリカに留学した。大学院で最初に履修した、「アメリカ女性史」のクラス冒頭でのクイズが、アメリカ史における女性の歴史的人物を10名列挙せよというものだった。この問いは留学生であった私だけでなく、多くのアメリカ人の学生にとっても容易にクリアできるものではなかった。これを課した教員には、歴史上、女性がいかに不可視な状態に置かれてきたかを学生たちに実感させる意図があった。女性史の通史を学ぶ際、必ず言及されるのが女性参政権獲得の歴史。その中で傑出した役割を果たした、女性参政権運動のリーダーであるスーザン・B・アンソニーの肖像が1ドルコインに刻印されていた。このコインはそれほど流通していなかったので、手に入った際に大切に財布の中にしまっておいた。女性の歴史的な貢献を可視化するとともに、どのようにして現在まで到達したのかを明らかにすることで、より良い未来を形作っていく推進力に資するのが女性史の役割であると教えられた。女性史を専門にしようと思っていた大学院生の私にとって、「学業成就」のため、いわば<お守り>のようにして大切にしていた1ドルコインだった。本年4月9日に津田塾大学創立者津田梅子の肖像が新五千円券に採用されることが正式に発表された。指導した卒業生から同日に届いたメッセージには以下の一文が含まれていた。「2024年からは、五千円札を見るたびに母校を思い出せそうでうれしくもあり、お財布を開ける度に、襟を正し、精進せよと言われるような心持ちでもあります。」このメッセージを読んだ瞬間に、留学時代の1ドルコインのことを思い出した。津田梅子は1900年に女子英学塾(津田塾大学の前身)を創立したが、それ以前に、後進の女性リーダーを育成するため、2度目の留学中(1889-1892)、アメリカ女性の支援を得て、「日本女性米国奨学金」と呼ばれた奨学金制度を創設した。当時、8000ドルを集めれば、その利子で4年に一人、同胞の女性を自らが学んだブリンマー大学に派遣できると計画した。留学期間を1年延長して展開したファンドレイジングで目標額に到達し、1970年代まで後進の女性たち25名に留学への道を切り拓いた。その中には占領期の教育刷新委員会の38名中ただ2名の女性委員、星野あい(津田塾大学初代学長)と河井道(恵泉女学園創立者)も含まれていた。梅子は、官立の華族女学校の教授として名誉ある職位と高い収入を得ていた。それにもかかわらず私塾である女子英学塾の創設に果敢に挑戦したのである。自身の建学の精神に沿った高等教育を展開し、女性が精神的にも経済的にも自立する力量を培いたいという揺るがぬ信念があった。先の奨学金と同じ支援者が寄付母体となって梅子の私塾の創設、今の言葉で言えば起業に、国境を越えて支援の手を差し伸べた。最初の官費女子留学生として歩んだ梅子の道のりは決して平坦ではなかった。しかし19世紀末から、人、モノ、カネ、情報を動かすグローバルなネットワークを紡ぎ出し、梅子は自身一回きりの経験で終わらせることなく、自分に続く女性の<長い列>を連ねていくことに全身全霊を捧げた、勇気ある人だった。津田塾で学ぶ人たちはそのような「津田スピリット」に感化され、卒業生はねばり強く努力し、決してあきらめることなく、力を尽くす人と評価されている。2017年、津田塾大学は「Tsuda Vision 2030」を策定し、「変革を担う、女性であること」というモットーを掲げた。日本女性の社会参画の状況は未だにきわめて厳しい。そのような状況だからこそ、新五千円券に描かれる津田梅子の肖像が、彼女の足跡と共に次世代の女性たちに勇気と励ましを与える歴史的人物として、変革を担うインスピレーションになることを願ってやまない。ファイナンス 2019 Jul.1財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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