ファイナンス 2019年6月号 Vol.55 No.3
58/70

絵馬を奉納している。現存する模写には、18門の大砲を備える巨大な戦艦が描かれており、30人ほどの甲冑武者が弓・鉄砲を構え、中央には扇を持った長政と思われる主将が立っている。スペイン艦隊を撃滅した時の戦艦ではなかろうか。長政絶頂の時期であった。1628年のソンタム王の死後、長政は王位継承問題に巻き込まれ、王族カラホムの陰謀でリゴール王(長官)に左遷され、1630年カラホムが即位してプラーサート・トーン王となると、彼の密命により長政は毒殺された。アユタヤの日本人町も、叛乱の恐れがあるとして焼き討ちされた。日本人町はその後再建されたが、政治的な地位を回復することはなかった。皮革や錫の貿易などに従事したが、鎖国令で新規の日本人の流入がなく、日本との交易も途絶えたので、次第に衰退し、アユタヤ日本人町は18世紀初めに消滅したと考えられている。水割りをもう1杯作りながら、アユタヤ日本人町の盛衰と悲劇の英雄山田長政の生涯に思いをいたして、長嘆息する。北条早雲や豊臣秀吉のように実力だけでのし上がることができた、いわば実力主義の戦国時代が、関ヶ原合戦と大坂夏の陣で終焉を迎え、天下が統一され、国内で戦がなくなった。徳川幕府は安定を志向し、重農主義に舵を切った。身分制を確立し、世襲主義の時代になった。戦で手柄を立てる機会がなくなったので、主家を失った浪人や一旗上げることを夢見る青年たちは、国内に見切りをつけて、アユタヤやプノンペンやマニラに雄飛したのであろう。当時は渡航自体命懸けだったろう。紀伊国屋文左衛門の蜜柑船どころではあるまい。現地の地誌も言葉もわからぬまま、日本を飛び出すのであるから、大変な勇気である。戦国の世なら一旗あげているような頭も腕も度胸もある人材が、果敢にチャレンジしたから、各地の日本人町も隆盛したのであろう。現代の日本でも、金融危機やリーマンショック後に、金融関係はじめ伝統的な大企業から、多くの優秀な人材が転職を余儀なくされた。また、多くの優秀な人材が、自ら転職を決断した。彼らはその後様々な分野で活躍している。当事者にとっては大変なことであったろうが、我が国経済全体に寄与したところは大きい。しかし、その後経済が緩やかながら上昇に転ずるにつれ、こうしたダイナミックな人材の流れは萎んでいるようにも見える。依然大組織には、能力をいかんなく発揮する機会なく退蔵されている優秀な人材が少なくないように思われるのだが……。アジア各地の日本人町隆盛の時代も、鎖国令で日本人の新規流入が途絶えると、衰退したんだよな……。チャオプラヤー川の夜景をぼんやりと眺めつつとりとめないことを考えているうちに、腹が減ってきた。晩飯のタイスキはうまかったが、何といっても鍋物だから腹持ちが悪い。締めの麺を翡翠麺だけじゃなくビーフンも注文すればよかった。どうするかな。思案するうちに、鞄の中に日本から持参した胡麻せんべいと柿の種があったことを思い出した。あれでもう一杯飲もうと立ち上がると、窓ガラスに何か映った。目を凝らすと、それは紛れもなく、チャレンジ精神のかけらもなく小心翼々と日を送り、友人との居酒屋の勘定を百円単位で割り勘にする初老の男のたるんだ腹だった。54 ファイナンス 2019 Jun.連載私の週末 料理日記

元のページ  ../index.html#58

このブックを見る