ファイナンス 2019年5月号 Vol.55 No.2
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してくれた人、見舞に来てくれた人に「世の人はみな自分より親切なものだ」と感謝の念を抱き、「住みにくいとのみ観じた世界にたちまち暖かな風が吹いた」と喜ぶ。そして「病に生き還ると共に心に生き還り」、病に謝し、人々に謝し、「願わくば善良な人間になりたいと考え」、「この幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓う」のである。大病の経験によるものとはいえ、この素直さは何となく漱石らしくないように思うのだが、碩学によれば、修善寺の大患を経て漱石は晩年の「則天去私」の境地を拓いたのだという。かつてその肖像がお札に刷り込まれたほどの大文豪をつかまえて、病気になってから急に素直になるこの御仁は普段健康な折にはよほど斜に構えて居たに違いないと僻ひが目めで見てしまう私は、拗すね者の誹りを免れないだろう。しかし、そんな拗ね者の私が読んでも、「世の中は悉く敵」という個所には付箋代わりの紙片を挟みつつ、心のどこかで善良な人間になりたいと思ってしまうのであるから、さすがである。それにしても悲しいのは、自らの学識のなさである。漱石が挿入している自作の漢詩の意味はおぼろげにしかわからないし、彼が引用するウィリアム・ジェームズ、レスター・フランク・ウォード、グスタフ・フェヒナー、オーギュスト・コントといった学者は名前もおぼつかない。漱石が、そのエッセイ「ヴァージニバス・ピュエリスク」を引用するロバート・ルイス・スチーブンソンにしても「宝島」の著者ということ以上はほとんど知らない。まあ、日本の最高の知識人の随筆なのだから、読めない漢詩や知らない学者・作家の名があってもしかたないか。昨晩はなかなか寝付けなかったのに、今朝は情けなくも手洗いに行きたくてやたらに早く目が覚める。仕方がないので起きだして、洗面したらまずパソコンの動画を相手にラジオ体操第一、第二と入念に朝の体操。新聞をゆっくり読んでから、髭を剃り、胃の不調を気にして極薄めにコーヒーを淹れ、トーストを焼き、チーズもバターもハムもベーコンもなしで食す。着替えたら例によってスーパーに食材の買い出しである。スーパーに行くまでは、胃の不調を気にして、今日の夕食は、豆腐とお粥にしようかなと殊勝なことを考えていたのだが、野菜売り場で筍を見た途端に、飲み過ぎの反省などすっかり忘れて、先週末後輩の某君からいただいた立派な筍を筍御飯にして食べたことを思い出す。実に美味であった。今週も炊き込みご飯が食べたくなる。筍の次となれば、少々贅沢ながらやっぱり鯛かな。筍御飯よりは消化がいいだろう。というわけで、買い物かごに鯛の切り身2切れ九百八十円を放り込む。おかずも奮発して鯛の刺身といこう。鯛のサク九百八十円も放り込む。無論これだけで足りるはずもないので、豚バラ極薄切り、春菊、もやし、アスパラガス、栃尾揚げと、次から次にかごに投げ込む。家に戻ったら、漸く眠くなってきたのでまた寝床に戻る。目が覚めたらもう1時。昼は尊敬する先輩から拝領したとびきり大粒の浅蜊にたっぷりとバターを使ってスパゲティを作る。サラダはトマトとブロッコリーにオリーブ油とにんにくを効かせたドレッシングをたっぷりかけて食べる。昼寝したら胃のことはすっかり忘れてしまった。午後は桜を見ながら散歩。戻ればそろそろ夕食の支度の時刻だ。さて、夕食。鯛めしの下準備をして炊飯器をセットしたら、鯛のサクを薄めに切る。ボウルに入れて、醤油をかけ、みりん少々、わさび少々で和え、さらにすりごまをたっぷり振って和えたら、ラップして冷蔵庫に。続いてもやしを茹でて、春菊の葉先と一緒にキムチの素少量と和え、小鉢に分けたら、炒りごまを振って韓国風サラダ完成。アスパラガスは茹でてマヨネーズと七味で。汁物は、浅蜊の味噌汁。鯛めしが炊き上がったら、鯛を一旦取り出し、ほぐしてから炊飯器に戻してよく混ぜる。韓国風サラダ、アスパラガス、鯛のごま醤油和えと食卓に並べておいて、豚バラを春菊の茎とカリッと炒め、塩胡椒で味付けしたのを食卓に運んだら夕食開始。いずれもなかなか美味。女房は美味そうにビールを飲むが、私は週に1度の休肝日なので水を飲む。残念だが、加齢のせいか週末になると飲みすぎに伴う内臓疲労が溜まってきてしまうのだ。先日の胃の不調も内臓疲労の一種だろうと勝手に自己診断する。ということで、休肝日の誓いを新たにする。タイマーが鳴って、オーブントースターに入れておいた栃尾揚げが焼き上がる。ポン酢で食す。ここでま68 ファイナンス 2019 May.連載私の週末 料理日記

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