ファイナンス 2019年5月号 Vol.55 No.2
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私の週末料理日記その314月△日土曜日新々どうしたものか(といっても連日の暴飲の故に決まっているが、)昨晩は胃が重苦しくてなかなか寝付けなかった。先日某先輩に超高級酒飲み放題の店に連れて行っていただいたのが悪かったのか。あの先輩の胃袋は飛び切り頑丈だからなあ。何しろ健康診断の胃のバリウム検査でバリウムのお代わりを所望したという伝説のあるお方である。と取り留めないことを考えても重苦しさは変わらない。意識が「臍さい上方三寸の辺あたりを」「うねうねと行きつ戻りつ」する。「出来るならば、このまま睡魔に冒されて、」「寐込んで、しかる後鷹揚な心持を豊かに抱いて、」「日の光に両の眼を颯さつと開けたかった」が、そうもいかず、寝返りを打つたびに「胸の中を棒で攪かき混ぜられるような、また胃の腑が不規則な大波をその全面に向かって層々と描き出すような、異な心持」である。どこかで読んだような気分だなと、手洗いに立ったついでに本棚を見ると、思い出した。正月に読んだ漱石の「思い出す事など」の一節だ。(もちろん正確な文章が頭に浮かんだわけではなく、何となくそんな感じの胃の不調と思っただけなのだが、)それにしても、飲み過ぎの胃の不調を形容するのに、大吐血して死にかかった漱石の修善寺大患の描写を借りてくるとは、大げさというか臆病というかいずれにしても程があるというものである。我ながら呆れているうちに、胃の痛みは何となく軽快してきたのだが、どういうわけか、とにかく寝付けない。結局明け方近くまで「思い出す事など」を読み返してしまった。読者諸兄姉よくご案内のように、夏目漱石は、明治43(1910)年、「門」の執筆中に胃潰瘍を患い、脱稿後8月から伊豆修善寺で療養するが、同月下旬大吐血し、一時は人事不省になる。修善寺での生死の境を彷徨った時から、10月釣台に乗せられて帰京して内幸町の長与胃腸病院入院を経て自宅に戻った翌年2月までの間を振り返り、病床での自らの体験や思索あるいは(「遐か想そう」というのだろうか)俗世を超越した思想をつづった随筆が「思い出す事など」である。漱石は、病中宇宙論に思いをいたし、ふと考える。今自分は病気からの回復を喜んでいる。病臥中に死んでいった知名の人々や惜しい人々をもっと生かしておきたいと願っている。介抱や世話をしてくれた人たちに厚い感謝の念を抱いている。そうして此処に人間らしいあるものが潜ひそむと信じているとする。その証拠には「生き甲斐のあると思われるほど深い強い快い感じが漲みなぎっているからである」と。一方で漱石は、「これは人間相互の関係である」と指摘し、「物理の原則に因って無慈悲に運行し、情義なく発展する太陽系の歴史を基礎として、その間に微かな生を営む人間を考えて見ると、われらの如きものの一喜一憂は無意味といわんほどに勢力がない」とする。そして「人間の生死も人間を本位とするわれらからすれば大事件に相違ないが、しばらく立場を易かえて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成なり行ゆきで、そこに喜びそこに悲しむ理窟は毫ごうもない」と達観する。しかして、「こう考えた時、余は甚はなはだ心細くなった。また甚だつまらなくなった」とし、亡くなった友人の夫人のことを思い出しながら、夫人のために手向けの句を作るのである。また病床で漱石は、「人間は自活の計はかりごとに追われる動物」であると観念し、「自活自営の立場に立って見渡した世の中は悉く敵」、「自然は公平で冷酷な敵」、「社会は不正で人情のある敵」であり、「煢けい然ぜんとして独りその間に老ゆる者は見み惨じめと評するより外に評しようがない」と嘆ずる。しかし、「しみじみそう感じた心持を、急に病気が来て顚くつがえ覆した」とする。病人の世話を ファイナンス 2019 May.67連載私の週末 料理日記

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