ファイナンス 2019年5月号 Vol.55 No.2
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男木島は、第2回芸術祭当時の2013年には小中学生がゼロになった島です。県外に出た島民の子供が、この芸術祭に来て、アート作品の面白さを知り、家族でUターン。その後も知り合いなどを巻き込んで、当時から45人も定住し、4人の赤ちゃんが生まれているそうです。大島は、ハンセン病療養施設の残る島。現在も数十名の方が暮らしています。国立療養所所有の船で渡ります。島では「ふるさと」などの音楽が流れていて、なんだろう、と思っていたのですが、これは目の不自由な方用の盲導鈴とのこと。他にも、かつて使われていた死後の解剖台が展示されていたり、子供を産むことを許されていなかったため中絶した胎児の慰霊碑があったり、ミニ八十八か所が作られていたり(病気発覚により家族を離れ、お遍路中に収容された方が相当数いたためとのこと。島から出られないことを物語ります)、すごく考えさせられました。芸術祭がなければ、私を含め、多くの方が訪れなかった場所かと思われます。多くの島が過疎の深刻化等の課題を抱えるなか、アートが島の魅力を引き出し、来訪者との継続的な交流が生まれています。アート鑑賞目的で来てみると、南の島のような素晴らしい砂浜と景観、風の強さや島の構造に応じた街並み等に感動し、島の食材を活用した料理を味わい、島民や県内外からきている芸術家、ボランティアとのちょっとした会話や交流ができました。越後と讃岐の地で新潟について書く場なのに、なぜ香川を書いてるの?と疑問になられたかもしれません。直島等では以前からアートの活動が行われていましたが、他の島々を含めて広域でアートを通じ地域を活性化するという瀬戸芸の構想が始まったのは2004年頃。2010年に第1回が開催されましたが、福武總一郎さんを先頭に、ベネッセや香川県庁といった関係者が大地の芸術祭(2000年に第1回開催。2018年5月号、8月号の記事をご参照下さい)を視察し、大地の芸術祭の総合ディレクターであり、新潟県出身の北川フラムさんへの協力依頼(瀬戸芸の総合ディレクターに就任)を経て開催されているものです。瀬戸芸の運営を成り立たせているボランティア組織「こえび隊」も、現在のコアメンバーの多くが大地の芸術祭のボランティア組織「こへび隊」に参加し、瀬戸芸にも同様の組織をつくり、名前は「へび」に対応して「えび」にしよう!となったと聞いています。そして、現在の総合プロデューサーは両芸術祭とも福武總一郎さんです。瀬戸芸は開催期間約100日で約100万人、大地の芸術祭は約50日で50万人が来場しています。開催を追うごとに来場者が増加し、アーティストも来場者もボランティアも国際化しています。今回瀬戸芸に触れ、新潟で慣れ親しんだアーティストの作品が相当数あることに気づきました。大地の芸術祭は昨年で7回を数え、常設のものだけでも1日で回り切れないほどです。雪国と島という、一見すると生活しづらいところ。だからこその独特の自然と文化、それらから育まれた人々の暮らしがあります。それらを感じると、すごく元気になれます。ぜひ、訪れてみて下さい。写真(2) 女木島の美しい景色を背景にしたアート作品 ファイナンス 2019 May.55ニイ「ガタ」、「トキ」、書いてみませんか?連載ニイ「ガタ」、「トキ」、書いてみませんか?

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