ファイナンス 2019年5月号 Vol.55 No.2
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はじめに沖縄については、「沖縄病にかかる」ということばがかつてよく使われた。1960年代に沖縄を訪れた本土の政治家や文化人を中心とする人々の間で流行した、沖縄にのめり込む、「社会的・心理的な傾向」をいうとされる。代表的な人物としては、佐藤栄作や大江健三郎がよくあげられる。私は、2019年2月号のライブラリーでは、「魅せる沖縄」(浅野誠著 2018年)を紹介した。本書の「はじめに」では、この「沖縄病」にも言及がある。また、本書の「あとがき」で、浅野氏は、「『沖縄は○○だ』と言い切る論調に出会うことがあるが、沖縄は一筋縄ではいかない多様さをもっており、その多様さが豊かさを生み出している。だから、その多様なものから意味あるものを発見し、さらにそこから新たなものを創造することが重要だろう」という。沖縄について、最近の白眉の記事は、ニューズウィーク日本版2019年2月26日号に掲載された、ノンフィクションライターの石戸諭氏の「OKINAWAN RHAPSODY 僕たちは、この島を生きている」だ。石戸氏は、この記事の冒頭で、「沖縄は事あるごとにメディアに登場するが、その報道の多くは一面的な事実を全てであるかのように語り、時に幻想的な『沖縄』像を作り上げてきた。あるいは都合のいい声だけを拾い上げてきたとも言える」と指摘する。この点は、私の郷里の福島県に関連して、8年となった3月11日をめがけた大量の報道でも痛感するところだ。そこでは、これまでマスメディアが作り上げてきた「疑似環境」*2に沿った、いわゆるステレオ・タイプ*1) 本稿は、2018年12月4日に、中央大学法学部の工藤裕子教授の「ガバナンス論2」でゲスト・スピーカーとして話したものをもととしている。このような機会を提供いただいた工藤教授のご厚意に感謝したい。*2) 「別冊NHK100分de名著 メディアと私たち」(2018年12月)の第1章 堤未果・執筆「リップマン『世論』 プロパガンダの源流」p19以下参照。*3) 植村秀樹著「暮らしてみた普天間 沖縄米軍基地問題を考える」(2015年)は、沖縄問題についての学者としてどうアプローチすべきかについて1つの説得的な見識を示す。*4) 多田治著「沖縄イメージの誕生」(2004年)的な記事を作ったほうが、現場としても編集サイドでも効率的だし、消費しやすい言説となるのだろう。沖縄報道についても、中央紙から派遣されてきている記者と非公式に話をすると、この点を自覚し、悩みながらも、達観して本土向けの日々の業務をこなしている、というタイプの記者が散見される。「疑似環境」を打ち壊すような報道は、それに慣らされてきた読者からの大きなハレーションと社内的にも物議を起こすことに鑑みれば、赴任期間中、いわば「大過なく過ごす」という、ある意味大人の対応をしているのだというべきか*3。数々の振興策やクルーズ船ブームなどにより、沖縄が持つ元々の多様性に、さらに多くの要素を加えた現実の「沖縄」を報道する難しさがあるのは間違いない。むしろ、「沖縄病」にかかったほうが気楽なのかもしれない、とも感じてしまう。1沖縄についてのイメージ沖縄については、「沖縄イメージ」ということが言われる。「沖縄イメージ」とは、「青い海」、「南の亜熱帯」、「独自な文化」に代表される。青い海、南の亜熱帯、赤いハイビスカスに恵まれた「南の楽園」、元気なオバァ、ゴーヤーや豚の角煮のような健康食、三線を奏でる沖縄音楽、米軍基地、沖縄戦、平和などなどである。「沖縄イメージ」について詳細な研究を行った多田治氏は、「特定の文脈の中で立ち上げられたイメージ(知)が、新しい現実を作る」とし、「1975年の海洋博という文化装置によって沖縄イメージが作られた」と分析している*4。沖縄は移住先としては、日本国内で一定の人気があ「魅せる沖縄」の今後~沖縄経済の現況を踏まえて*1渡部 晶24 ファイナンス 2019 May.SPOT

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