ファイナンス 2019年4月号 Vol.55 No.1
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和歌山市レーンによる荷役が再開しました。現在、ガントリークレーンが2基設置されており、和歌山下津港がグレードアップしたような錯覚を起こす景色となっています。なお、故障したガントリークレーンは修理等もできず、鉄屑として処理されることとなっており、6月頃までには撤去される予定です。一時的にガントリークレーンが2基設置されているコンテナ埠頭最上部のガーダーが右側に捻れたガントリークレーン3紀州藩55万5千石の城下町 和歌山市和歌山市は、和歌山県の北部にあって紀の川の河口に位置し、緑あふれる豊かな自然と、黒潮がもたらす温和な気候に恵まれた都市です。古くは徳川御三家の一つである紀州藩55万5千石の城下町として栄えました。和歌山市内には、紀州藩ゆかりの建物などが多く存在しますので、その一部をご紹介します。○和歌山城和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を統一した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、慶長5年(1600)には、関ケ原の戦いで戦功があった浅野幸長が入城。そして、元和5年(1619)、徳川家康の第10子・頼宣が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、尾張・水戸と並び、徳川御三家の一つとして、長い歴史を刻み、8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出しています。和歌山城は、和歌山市の中心部にあり、天守閣に登れば、和歌山市街が見渡せ、また、城内には沢山の武具、書画などが展示されています。吉宗像和歌山城○紀州東照宮紀州東照宮は、初代紀州藩主徳川頼宣が、父家康を祀るために元和7年(1621)、南海道の総鎮護として創建しました。社殿は、「関西の日光」とも呼ばれ、権現造りの本殿には、左甚五郎作と伝わる彫刻や狩野70 ファイナンス 2019 Apr.連載各地の話題

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