ファイナンス 2019年4月号 Vol.55 No.1
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私の週末料理日記その303月△日土曜日新々朝、例によってスーパーに買い物に行き、戻って朝飯を食べ、運動に行き、帰宅してシャワーを浴びて昼飯。先日職場の復興支援即売会で買った宮古ラーメンにもやしとゆで卵をのせて2杯食べ、寝転んで本を読む。「失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇」(野中郁次郎他、ダイヤモンド社)を読んでいたら、フロネティックリーダーという言葉が出てきた。フロネシスというのは、同書によれば、ギリシャ哲学由来の概念で実践知というべきものらしい。そういえば、高校で(ひょっとしたら大学だったかもしれないが、)そんな言葉を習った気もする。プラトンだかアリストテレスだかが「知」をソフィアとフロネシスに分けていたような気が…。半ば以上忘却された私の記憶はともかく、要するに、同書によれば、フロネティックリーダーというのは、個別具体の文脈の中で適時絶妙なバランスをとった最善の判断ができるという実践知、すなわち高度なリーダーシップを備えたリーダーということらしい。その例として挙げられているのが、ペリクレスとチャーチルである。チャーチルについては、多少はイメージがわくのだが、ペリクレスについては昔まだ学生の頃に読んだプルターク英雄伝に出てきて、頭が玉ねぎの形をしていた人だったということしか覚えていない。折角の機会だからもう一度読んでみようと本棚を捜したが見つからない。結局図書館まで出かけて古い岩波文庫を借りてきた。ペリクレスは、アテナイ(アテネ)の名家に生まれ、著名な哲学者アオクサゴラスに師事した。人柄は、気位高く、重々しく、めったに笑わず、演説も冷静で、感情を交えない。どんなに罵声を浴びせられても動じなかった。英雄伝によれば、「或る時などは、手に負へない下劣な人間の一人に一日中非難され悪口を言はれながら、アゴラー(市場)の中で黙ったままそれを忍び、急ぎの仕事を捌いて行った。夕方になって威儀を正して家に帰るのを、その男は後から追ってあらゆる罵詈を浴びせ掛けた。家に入らうとした時にはすでに暗くなってゐたので、ペリクレースは召使の一人に灯を持たせ、その男を家まで見送るやうに云ひつけた」という。あまり庶民的とは言えないタイプだが、彼は貧しい人々が支持する民衆派に属し、アテナイ民主政とアテネ市民の繁栄のために、その優れた政治力を発揮した。貴族が独占するアレイオス・パゴス会議から政治的実権を奪い、それを民会(エクレシア)に与えた。貧民への観劇料の支給や、裁判等市民が籤引で担任する公務についての日当支給などにより、民衆の支持を得て民主化を徹底した。(注:当時貧しい者は、籤で公職に当選しても経済的理由から辞退することが多かった。)安全保障・外交面では、強力な海軍を維持する一方、エジプトやカルタゴへの遠征論等の無謀な勢力伸長策を抑えて、アテネの勢力をギリシャの範囲にとどめる堅実な政策を取った。大国ペルシアとはカリアスの和約を結び、強力な陸軍を持つスパルタに対しては、極力正面衝突を避け、スパルタの要路に政治資金を使って時間を稼ぎ、休戦条約を結ぶなど平和の維持に努め、通商国家であるアテネの発展の環境を整備した。財政的には、対ペルシア防衛を目的とするデロス同盟の基金をアテネに移し、アテナイと港湾の防御工事、海軍の維持・増強、パルテノン神殿等諸神殿の建築費用などに充てた。ペリクレスの時代こそまさしくアテナイの黄金時代であった。ちなみに、私が玉ねぎ型の、つまり直径が大きくて先端がやや尖った頭だと思い込んでいたペリクレスの頭は、縦に長い頭であったようだ。英雄伝には「他の66 ファイナンス 2019 Apr.連載私の週末 料理日記

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