ファイナンス 2019年3月号 Vol.54 No.12
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レイに打診する。しかし、ウトレイが難色を示したため同外務卿は上記12月12日付書簡において代理公使は諦め公務弁理職に任じた旨をウトレイに通知している。モンブランは、1869年12月26日に日本を発ちフランスに1870年春に帰国したようであるが、フランス外務省内の検討の結果、ウトレイが代理公使と公務弁理職の違いが不明だと言っており、かつ、モンブランは公務弁理職が代理公使を意味すると言っていること、ウトレイが欧州人は日本政府の絶対的信用は決して勝ち得ずその精神・思考・感情を体現できずにむしろ欧州人は障害にすらなると言っていること、モンブランの本件任命は褒賞にしか過ぎないことを挙げて、総領事としての認可を与えるのは良いが、外交的性格を有することに関する限り彼の持つ信任状の真の性格が明らかになるまでは代理公使としての承認を延期すべきとの進言が、1870年2月28日に外務省内から外務大臣に対して行われている*27。その結果、モンブランはフランスへの帰国後、フランス外務省から総領事としては認められたものの代理公使としては認められず、一方で澤外務卿はウトレイから公務弁理職は代理公使なのか総領事なのかと問われてどちらだと画然とさせることはできないと答え、モンブランはモンブランで外務卿に対し「天皇からナポレオン三世に対し、公務弁理職が『総領事兼代理公使』を意味し外交官に該当する」旨の書簡を送ってほしいと要請している*28。しかし、結局、日本政府は鮫島尚信を小弁務史(代理公使相当)としてフランスに送ることを決め*29、11月21日付でモンブランの公務弁理職の解任がウトレイに通告されるのである。さて、明治時代に入ってから、不平等条約の改正が明治政府の一大課題となった。交渉の末、日仏間において、より平等な条約として1896年に日仏通商航海条約が締結されるのであるが、その際、同条約第23条によって日仏修好通商条約は廃止されたのである。*27) フランス外務省外交史料館所蔵マイクロフィルムCorrespondance Politique Japon P/10241。*28) 前掲外務省藏版「大日本外交文書」第三巻703頁。*29) 以前鮫島尚信初代駐仏日本公使の墓と顕彰プレートの設置についてコラムで書いた際、鮫島が「(1871年)1月27日にフランス国防政府のあったボルドーにてジュル・ファヴル外務大臣に信任状を渡しているという」「本当に大臣本人に信任状を渡したのかは今後の研究が待たれる」と記したが、ダニエル・タバール氏によるとまさにファヴル外務大臣は休戦協定交渉のためパリに居たので、ボルドーに居た鮫島はファヴル外務大臣に直接信任状は渡せず、信任状を外務省(おそらくボルドーの派遣部)に提出した事実をファヴル外務大臣に伝えただけである、という指摘があった。▪11終わりに日仏修好通商条約とは結局どういった条約だったのであろうか。日本の関税自主権は認めず、フランスの治外法権とフランスへの片務的最恵国待遇を認めている点をとりあげれば確かに日本に不平等な条約である。さらに、金銀通貨の交換比率について重量換算を認めたことも日本にとって良くない結果をもたらした。しかし、フランスでは貿易港の制限も日本人の移動の制限もなかったのに対し、同条約ではフランスが貿易できる港が当初3港、将来的にも5港に限定されていたことや、外交官以外のフランス人は開港の周辺等に移動が制限されており、フランスにとっても不平等な条約であった。さらに、価格の20%や35%といった高関税率は、日本側に関税自主権がなかったことを埋め合わせる役割を果たしていたとも言える。だからこそ、フランスを含む四ヶ国は、開港の早期化・増加や関税率の引下げを要求したのである。また、同条約の和文と仏文に解釈の齟齬がある場合には蘭文によるとして、日仏両言語間の平等な取扱いを勝ち取ってもいる点も注目に値する。こう考えると、国際法の知識・経験がなかったにもかかわらず、幕府の担当者は日仏条約を含む安政5ヵ国条約について、かなり上手く条約交渉を行ったとも評価できる。不幸だったのは、幕府が勅許を得られずに条約に調印し、その後も朝廷が攘夷にこだわり続けたために、外国人殺傷や外国船砲撃といった無謀な攘夷運動にお墨付きが与えられた格好となり幕府がそれを抑えられなかった点である。開港開市延期交渉によりフランス含む条約相手国に延期の代償として譲歩を行わざるを得なくなったのを契機とし、外国船砲撃・下関海峡封鎖を行った長州藩に対する四ヶ国艦隊による武力行使や四ヶ国艦隊による兵庫開港要求といった示威行動を招いたことが、結果的に、巨額の賠償金支払いや関税率の大幅引下げという我が国にとっての損失にもたらしたとも言える。言い換えれば、攘夷運動は逆に欧米諸国に利益を与えるという皮肉な結果につながったのである。42 ファイナンス 2019 Mar.SPOT

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