ファイナンス 2019年2月号 Vol.54 No.11
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各地の話題 はじめに甲府税務署は、明治29年11月1日、甲府収税署(県の出先機関)を引き継ぎ、甲府税務署(国の出先機関)としての歴史を歩み始め、以降、名称を変えることなく100年を超え、今に続いています。庁舎については、平成24年2月に、現在の「甲府合同庁舎」へ移転しました。管轄区域は、甲府市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、中央市、中巨摩郡(昭和町)の6市1町であり、管内面積は1,335.50km2と東京国税局管内1位の広さとなります。 管内の話題〔甲府市・こうふ開府500年〕名将として全国に名を馳せた武田信玄の父である武田信虎が、永正16(1519)年に石和(山梨県笛吹市)に近接した川田から躑躅ヶ崎(現:武田神社)へ居館を移し、家臣をその周辺に集住させるとともに、商職人町の設定、寺社の創建や市場の開設を進めるなど、大規模な城下町の整備を行ったことにより、甲斐の府中(※守護所の所在地)を略して「甲府」と呼ばれるようになりました。甲府市は、中核市への移行を予定する平成31(2019)年に、記念すべき開府500年という歴史的な節目を迎えるとして、現在、様々な記念事業・イベントが企画、実施されています。 歴史〔甲斐武田氏の甲州金〕戦国時代、金・銀貨は重さが価値を表す秤量貨幣でした。甲州金も古くは、碁石金や延金など秤量貨幣でしたが、その後、鋳造や秤量技術の進歩に伴って、四進法と二進法を組み合わせた計数貨幣へと発展しました。武田氏滅亡(天正10年)の後、徳川家康がこの優れた甲州金の四進法の貨幣制度を採用したことから“江戸時代の幣制のルーツは甲斐武田氏の甲州金だった”といわれています。なお、「金に糸目をつけない」「太鼓判を押す」の言い方は甲州金の量目や形状に由来しているといわれています。つなぐ歴史 かがやく絆こうふ開府500年甲府税務署 総務課長石内 健一郎甲府甲州金の貨幣制度 ファイナンス 2019 Feb.71連 載 ■ 各地の話題

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