ファイナンス 2019年2月号 Vol.54 No.11
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巻頭言国家における「決断」財務副大臣鈴木 馨祐穏やかな日差し、普段見慣れたジョージタウンの街並み。それとまったく釣り合わない不気味なまでの静寂。そしてそれを切り裂くようにして急にキーンという音が響き始める。そのコントラストゆえに消えない記憶が今でも脳裏をよぎることがあります。2001年9月11日の昼下がり。その日の朝、ニューヨークとワシントンDCで発生した同時多発テロ、いわゆる9.11テロ。それを受けて、政府から住民に対してワシントンDCからの退去命令が出ていたものの、ペンタゴンシティというテロのターゲットの真横に住んでいた私には戻るところがなく、大学と相談して、落ち着くまでキャンパス付近で時を過ごすこととなりました。スマートフォンがまだない時代、手元でアクセスできる情報も限られていました。未だ何機かの旅客機が上空にいて、ワシントンの中枢に向かっているという噂が駆け巡ってもいました。これからどうなっていくのか、不安が頭をよぎる中、突如響き始めた轟音。それは鷲のように上空をパトロールし始めた、アメリカ空軍の戦闘機の音。正直に言えば無意識に自分が守られていると思ってしまった瞬間でした。後から考えると、ブッシュ大統領(当時)が首都に近づく航空機について、それが大量の旅客を乗せた旅客機であっても、すべてを撃墜せよとの命令を発出したことを受けてのものだったのだと思います。何百人もの何の罪もない人たちが犠牲になるかもしれない国家の非情な決断と行動と、本能的に現場で感じた安堵。そのとき少なくとも無意識に安堵を覚えてしまった一人の人間として、重い意味を持つ一つの原体験です。犠牲をゼロにできないならば、その犠牲をなるべく少なくするために、国の指導者は命に優先順位をつけることすらせねばならないのだと。そして限られた時間で、最後は孤独の中でその重い決断を、全責任をもって下さねばならないのだと。命に限らず、それぞれに「正義」があるものの中で、優先順位をどうつけるか。さらには相反する価値観のバランスをどう考えるか。これは政治にたずさわる者が常に直面せねばならない課題です。人口が増加し、右肩上がりの成長が続いていた40年前と違って、今は限られた中での分配、場合によっては負の分配をせねばならないのが政府、特に我々財務省の責務です。例えば国防と医療、教育の優先順位をどうつけていくのか。無駄を排して究極的に効率化しても、あるいは民間資金を最大限活用する枠組みを積極的に導入したとしても、それだけで財政を持続可能にできる状況ではもはやありません。同じ政策分野の中はもちろん、異なる政策分野の間でも優先順位付けをして、優先順位の低いものについては、申し訳ないがやらないという決断をせねばならない、今はそんな時代です。税制にしても経済に税というものが直接的に与える影響は他の政策手段に比べ圧倒的に大きく、時代とともに、益々企業や個人の行動に与える影響は大きくなってきています。とすれば、税の最適なポートフォリオを考えるときに、「平等」という社会政策の目標と、「成長を阻害しない」という経済政策の目標の従来のバランスも見直されねばなりません。「正義」が人それぞれに千差万別の中で、決断を下す。国民に対してどう責任をとるかを考えたとき、民主主義の日本においては、選挙において主権者たる国民のみなさまの審判を受けることで責任をとるしかありません。そこに選挙で選ばれた政治家の政府における役割の正統性の源泉があるのだと思います。平成、そして次の時代。変化の速い時代の中で、それに適応する柔軟性と決断力を求められるのは政府もまた同じです。役割をしっかりと果たしてまいりたいと思います。ファイナンス 2019 Feb.1財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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