ファイナンス 2019年2月号 Vol.54 No.11
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3日に認めているが*24、まさにこれはフランスがアロー戦争遂行のため馬が必要となったためであった。フランスのとの間では、ワインの関税率の話もあった。デュシェヌ=ド=ベルクールは、条約交渉時にグロ男爵が引下げを交渉するも日本側に拒否され、結局日仏条約貿易章程第7則で35%と定められたワイン関税率の引下げを1860年7月16日以降幕府に縷々要求していたが、幕府は8月13日これを拒否している*25。さらに、日仏条約第14条で定められた外国貨幣と日本貨幣の交換比率の問題もあった。日本での金小判と一分銀の交換の際の金銀交換比率が金1:銀4.6だったのに対し、外国では金貨と銀貨の交換の際の金銀交換比率が金1:銀15.5~16となっていたことに起因して、金の海外流出が生じたことは4(15)で述べた通りであるが、まさに金を安価で手に入れるために、外国人は、1ドル銀貨を同じ重さの一分銀3枚(天保小判4分の3枚分と交換でき、ドル金貨ベースで約3.3ドルを手に入れることができる)に交換する取引を大量に行ったため、開港地周辺では一分銀が払底する事態となった。これに対し一分銀増鋳に応じたくない幕府はアメリカ公使ハリスの提言を容れ、1860年1月21日より、メキシコ銀貨に三分銀の通用力を持たせるべく同銀貨に「改三分定」との刻印を打って日本国内で通用させようとした。しかし、日本国内では外国銀貨は重量に比して低く評価されており、その結果刻印を押そうとも国内通貨として通用させることができなかったため、この措置は1860年6月30日で中止された。その上で、第14条で定める役所での外国貨幣と日本貨幣の両替措置の期限(開港後1年間)が同日に来たため、各国の代表団・軍艦乗組員を対象とした公用の両替措置を除きこの両替措置を廃止し、外国貨幣は時価で国内通用させることとなったのである。しかし神奈川運上所が1ドル銀貨について実際の時価として重量換算による価格(一分銀3枚分)から2割以上安い相場を公示したので、アメリカ・イギリス・フランスが抗議を行い、その後縷々議論が行われている*26。*24) 東京大学史料編纂所維新史料綱要データベース「大日本維新史料稿本 萬延元年自三月十二日至三月十三日ノ一」番号104老中書翰。*25) 東京大学史料編纂所維新史料綱要データベース「大日本維新史料稿本 萬延元年自六月廿二日至仝月廿七十三日」番号117老中書翰。*26) 前掲東京大学史料編纂所維新史料綱要データベース「大日本維新史料稿本 萬延元年自五月朔日至仝月六日」番号6米国全権公使「ハリス」書翰老中、番号31佛國辨理公使「ベレクール」書翰等。*27) もっとも、フランスについては、1859年7月1日の開港時には最恵国待遇を受けるための条文が未だ発効しておらず、本来はフランスに対しては同日に開港できなかったのではないかという疑問は、6(4)に述べた通りである。*28) 前掲東京大学史料編纂所維新史料綱要データベース「大日本維新史料稿本 文久二年自三月十六日至三月十八日」番号166使節竹内保徳等仏国外務大臣對話書。(2) 開市・開港延期問題と文久遣欧使節団の欧州派遣こうした諸問題は、日本側にとっては、○輸出超過による国内の品不足と、内外金銀交換比率の差に起因した金流出を防止するための万延小判の発行(4(15)参照)などによるインフレで国内に不満がたまり、○攘夷運動とも結合して外国人殺傷事件が起こるという難しい状況となって現れていた。安政の5ヶ国条約で定められた開市開港については、箱館、神奈川、長崎は、日英条約及び日露条約の規定通り1859年7月1日から開港され、イギリス、ロシアのみならず、条約上の開港日はこれより遅かったアメリカ、オランダ、フランスも同日から開港の恩恵に浴したが*27、上記のインフレや攘夷運動の状況、さらに朝廷が大坂開市や兵庫開港に反対している状況を踏まえ、幕府は、条約に定める期日通りの新潟開港(1860年1月1日)、江戸開市(1862年1月1日)、大坂開市・兵庫開港(1863年1月1日)は困難で延期が必要と判断した。アメリカのハリス公使はこの事情は理解したものの、欧州諸国の理解を得る必要があり、幕府は1862年、文久遣欧使節団を欧州に派遣して、イギリス、フランス、オランダ等との間で、延期交渉を行うこととした。交渉の全権は、正使竹内下野守保徳、副使松平石見守康直、目付京極能登守高朗であり、1862年1月22日、英国海軍フリゲート艦オーディン号に乗船して品川を出発、4月3日にマルセイユ着、4月7日にパリに到着してまずフランス政府と交渉を開始する。一行は4月13日の皇帝ナポレオン三世への謁見に続き、4月15日にエドゥアール・トゥヴネル外務大臣と会談、同大臣は、開市開港延期問題のフランス側の交渉相手として、日仏条約に極めて詳しいとしてある人物を指名し、彼と交渉するよう竹内らに伝えるのである*28。 ファイナンス 2019 Feb.45日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(9) SPOT

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