ファイナンス 2019年1月号 Vol.54 No.10
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各地の話題1はじめに福岡県の西部に位置する福岡市、言わずと知れた福岡県の県庁所在地。福岡市には税関支署が二つあり、博多税関支署と福岡空港税関支署という。同じ市に二つの税関支署があるというのは全国でも珍しく、ごくごくおおざっぱに言って、博多税関支署が「海」を、福岡空港税関支署が「空」を管轄している。(正確にいうと、博多税関支署の管轄は福岡市(福岡空港税関支署及び福岡外郵出張所を除く)、筑紫野市、春日市、大野城市、宗像市、太宰府市、古賀市、福津市、朝倉市、糸島市、那珂川市、粕屋郡(福岡外郵出張所を除く)及び朝倉郡の11市2郡)沿革としては、明治16年(1883年)12月に博多長崎税関出張所が設置されたことに遡り、明治32年(1899年)4月に博多税関支署に改称、明治42年(1909年)11月に門司税関が長崎税関から独立している。今回は博多税関支署がお送りする「各地の話題」というわけで、博多港についてご紹介申し上げることとしたい。2アジアとの交易個人的好みで恐縮ながら、小生、芝居好きなもので、博多と言って思い出されるのが「博はかたこじょろうなみまくら多小女郎浪枕」という狂言。作者は、かの近松門左衛門。もともとは浄瑠璃で、当節なかなか上演されないが、ご当地、博多座の開場披露杮落大歌舞伎(平成11年(1999年)6月)で、亡き十二世團十郎が、廻り舞台いっぱいの元船の舳先、豪快な「汐見の見得」をした海賊・毛剃九右衛門がなつかしい(上演時は「恋こいみなとはかたのひとふし湊博多諷」の外題)。毛剃一味の抜荷(密輸)を軸に、京都の商あきんど人小町屋惣七と、なじみの博多・奥田屋の遊女・小女郎が事件に巻き込まれていくといった筋立て(本筋ではないので、以下略)。では、昔から博多港は交易が盛んだったのかといえば、まず思い出されるのは金印(「漢委奴国王」の刻印。)。江戸末期に志賀島(といっても現在は島ではなく、海の中道と陸続きである)で発見された金印は、紀元一世紀に博多にあった「奴」の国の使節が後漢の光武帝に朝貢し、賜ったものと言われている(福岡市博物館に常時展示されている。実際見ると、一辺2.3cm、意外と小さい)。7~9世紀の遣隋使、遣唐使の時代は、博多が出発・帰着地となり、平安末期には日宋貿易が活発となると、日本初の人工港、「袖そでの湊みなと」が造成された。その後も明・朝鮮との交易で、博多商人が台頭するも、江戸時代は鎖国政策。明治32年(1899年)には開港に指定され、国際貿易港としてスタートを切って、現在に至っている。3国際クルーズ船その博多港の位置を改めてご覧いただきたい。図1の地図のとおり、一目瞭然。博多は釜山から約200km、大阪より近い。また、上海約900km、大連約1000kmは、東京とほぼ同じ距離である。こうした地の利を生かして、平成2年(1990年)12月に釜山との間の定期フェリー(「かめりあ」、現在は「ニューかめりあ」で週7便、所要5時間半、旅客定員647人)が、同3年(1991年)3月に高速船アジアの玄関口、博多港 急増する国際クルーズ船への対応門司税関博多税関支署次長和田 芳郎博多 ファイナンス 2019 Jan.70連 載 ■ 各地の話題

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