ファイナンス 2019年1月号 Vol.54 No.10
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さて、実はこのヴァレヴスキ外務大臣宛の書簡を書いた時点で、すでに彼は両老中にその旨を書いた書簡を送っている。日本側資料に所収されている1859年9月24日付の両老中宛の書簡である*12。ここでデュシェヌ=ド=ベルクールは、○条約の批准書交換式が終わって自分が住む済海寺に帰ってみると、自分が老中の脇坂の屋敷で食事をとらなかったため、自分と随行者のための華美な食事が届いていたこと○それに感謝しつつも、事前に宴があって祝いとして食事をとることを予告されていなかったので当日は事務をこなしたらそれで終了だと思っていて、礼を失するつもりはなかったこと○初めての日本なので気づかないことがあって日本の礼儀に違っていても決して軽んずる気持ちから出たものではないことを述べ、幕閣に対し丁寧に接していることが分かる。これに対し、10月5日に、老中の間部・脇坂の連名で、条約の交換の際、食事の用意をしていたが式事が夕方に及んでしまったため食事を済海寺に贈ったのに対しお礼を頂きフランス側に心遣いを頂いたことを了承したことを述べる。また、6(7)で述べた批准書交換式における条約審査時の士官同席問題について*12) 前掲外務省藏版・維新史學會編纂「幕末維新外交史料集成」第四巻475~477頁及び外務省外交史料館所蔵「通信全覧初編佛國御書翰一」七番。すべてカタカナで書かれているがそれを漢字かな混じり文にすると以下の通り。なお、筆者は今回、通信全覧に同じ書簡が所収されているのを発見し、6(7)注34に引用した「幕末維新外交史料集成」に写し間違いがあることを発見したため、6(7)注34に掲載した部分を含め、改めて本書簡の全文を掲載する。なお、【 】は筆者が追加した部分である。 「ゲイスタベー ドセンデベレクル【ギュスタヴ・デュシェヌ=ド=ベルクール】フランスコンシユルゼネラール【=総領事】にてフランスの事を日本において取り捌くものは 日本御老中エキセルレンシー【=閣下】 間部下総守と脇坂中務大輔へ 日本八月二十六日条約を取交すうちには私も連れて来たる人数にもエキセルレンシー御老中より篤く取り預りましたるにおおきに有難うござります もっともそれに心付かる【=気が付く】べきところあり これは私は宅へ帰り結構華美の品見当たるに人告ぐるに私と人数との為に備えたるが脇坂中務大輔の屋敷においてその食物を食べられぬ故 政府より私家に渡し下さったと聞き思うには他国人は口承知らんただ通弁を以てやや分かって予てその【う】たげあつき【=ありき、の誤りか】を存じ知らねば心配とすべし 今右の 政府より下さってある食物を御老中より私共に送る御心得をおそ【れ多】く存じまする エキセルレンシー御老中の前において冥加として食べらねばならんことあり もっとも予て御心を承らん事ありまたその日の終いには事を取り捌く仕舞いと思いし故御心を存じませぬことあり この方より何のお礼をし落とす心なしと信じなされ それに付いてもし初めて日本に居る節には心付かれずして日本の礼儀に違うときはいかにもこの方よりその許【=そちら】の恩義を軽くなす心思うべからず この前既にエキセルレンシーの貴方様に申し上げ奉るとおりにフランス皇帝の心得には日本においてフランスのことを取り捌く者は日本の 政府に対して自身の位を軽くせずしても丁度自身思うが如くいつも厚く丁寧をなすべし ヨーロッパと日本と風俗相違わざるか もし大事の儀あらば 先立って 守るべき礼を 悉く予て告げ知らせませば随分誰をも軽うせざる様に風俗を合わすべし それについて言えば私がエキセルレンシー御老中の御前へマゼステ【=陛下】フランス皇帝の戦船の士官を連れて参り候節たとえその士官の人数・位等を一々分けて告げており候えぬ何れの部屋に居るべきかと尋ね居り候えどもその許より誰も守るべき礼を予て知らすことはなし もし人々の居るべきところを指し見せる日本人はエキセルレンシー御老中の御前に連れて参るべき士官の人数 事を取り扱う部屋に留まるべき間などを私に知らせ候えば随分その礼に任せて間違いなかるべし かつその時の間違いはエキセルレンシー御老中もフランス士官も疑いなく心配なく 一言にして守るべき礼を告げ知らせんことをこいねがう 又右に書きあげし通り何事にもマゼステフランス皇帝のことを取り捌く者の爵礼を軽んぜざるようにマゼステ日本の 大君の高官人を尊び敬うべし 左様なれば双方喜ぶべき事なり 右の談判なすにはただエキセルレンシー貴方様の御心に適う心ありて致すと存ずべし 拝具謹言 一千八百五十九年九月【二】十四日 フランス本書に当たる ケイユスタベ ドセンデベレクル 横文字 印」*13) 前掲外務省藏版・維新史學會編纂「幕末維新外交史料集成」第四巻477頁、「右ニ答ル閣老ノ返翰」。*14) 同上478頁、「閣老ヨリ士官座席疑問ニ答エシヲ謝スル「トセンデベレクル」ノ返翰」及び外務省外交史料館所蔵「通信全覧初編佛國御書翰一」七番。やはりすべてカタカナで書かれているがそれを漢字かな混じり文にすると以下の通り。 「日本御老中間部下総守様脇坂中務太輔様え 九月十二日御丁寧の書簡を披見せり 条約を取交す節の礼またその許より下さった御馳走その節に当たって僅かの間違い及びフランス皇帝の士官居るべき所等について甚だ譲り述べたることを承りてこの方よりそのことについて申し上げたことを後悔すべきことに存じ候 かつその節にその許より礼節を薄くする心あらざることは予て承知いたし居り候却ってフランス皇帝の士官も私も江戸において今の頃礼敬いにも遇い候故有難きことと存じ候 右の間違いは既に良き方に直したり 但しこの方よりこれを申し上げたる節には我が心にはフランス政府より日本政府と信宜を結んでからいつでも丁寧に致したく故私も我が家に居る人々も日本の風儀の様子を予て承りてなるたけ守る心があって申し上げたこと也 拝具謹言 一千八百五十九年十月十日 本書に当る トセーンデベレクル」は、士官を別席にしたのは礼節を軽くする意図があったのではないが細かく知らせずに取り計らったためにフランス側に不都合が生じたのは気の毒であり、以後はこうした処置はなるべく前広に打ち合わせて不都合の内容に取り計らうつもりである旨を述べている*13。デュシェヌ=ド=ベルクールはこの返簡に対して、さらに10月10日付で両老中に返簡*14を送り、食事のお届けの件や士官同席問題の件で両老中からへりくだった返事をもらい、意見したことを後悔していることや日本側が礼節を軽くする意図を持っていなかったのは分かっていること、さらに自分達が礼節の面において良くしてもらっており、今回の件も良い方向に向かっていて、自分達が意見をしたのは日本の習慣を知ってそれを可能な限り守りたいためであることを述べている。デュシェヌ=ド=ベルクールが日本の幕府から悪い印象を持たれないよう細心の注意を払っていたことが分かるが、もしかすると、彼は、同時並行的に、今後述べる日仏条約第7条及び第19条の和文・仏文の間の齟齬につきかなり難しい状況の中でフランス側の主張を取り入れるよう幕府と交渉していたため、それをうまく運ぶべく幕府高官に極めて丁寧に接していたのかもしれない。なお、デュシェヌ=ド=ベルクールは、ヴァレヴス ファイナンス 2019 Jan.18日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(8) SPOT

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