ファイナンス 2018年12月号 Vol.54 No.9
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第十三回 150年。ニイ「ガタ」、「トキ」、書いてみませんか?今年は明治元年から150年ということで、明治の歩みにちなんだ企画が全国各地で多く行われてきました。1968年に北越戊辰戦争が起こり、激戦地となった新潟では、福島、仙台の博物館と連続して「戊辰戦争150年」展が開催されました。また、開港5港の一つである新潟は2019年1月1日に開港150年を迎え、関連イベントが多く行われています。人に着目すると、明治時代に活躍した新潟出身者では、郵便制度を築き上げた「日本近代郵便制度の父」と言われる前島密(現上越市出身)、三井物産を興し、三井財閥の形成と日本資本主義成立期の中心人物として活躍した益田孝(現佐渡市出身)など多く挙げられるのですが、今回、新潟を巡っていて私の知識不足の中で特に印象的だった方をご紹介したいと思います。阪神タイガース生みの親多くの改革を成し遂げ、戊辰戦争で中立を保とうとしながら最後は武士の筋を通した長岡藩家老の河合継之助の生涯に心打たれた方は多いと思います。明治100年である50年前に出版された司馬遼太郎の小説『峠』で広く知られることになり、役所広司主演での映画化も今年決定したところです。死後150年ということで、8月の命日近くに福島県只見町の終焉の地を訪問しました。息を引き取った部屋が移築されて現存しているなど、幕末ファンは一度只見町の河合継之助記念館を訪問してみることをオススメします(長岡市にも記念館があります)。さて、記念館の展示で、外山脩造(幼名外山寅太)の記述に目が止まりました。河合継之助が長岡城で負傷した際も、亡くなるときも一緒にいた(当時26才)若者で、現在の長岡市栃尾地域の出身です。死が迫っていた河合継之助から商人になるように言われ、慶應義塾で学び、大蔵省でも働いていました。初代の日本銀行大阪支店長の後、現在のアサヒビール、大阪ガス、阪神電鉄等の創業に携わり、関西経済界の発展に尽くした人物です。阪神電鉄が設立したプロ野球球団の大阪野球倶楽部(後の阪神)の愛称は、社内公募でタイガースとなりました。デトロイト・タイガースが参考にされたとの説が有力らしいですが、初代阪神電鉄社長の外山脩造の幼名寅太から、との説もあるそうです。只見町の記念館では、「阪神タイガースの名前は“寅太”に由来しているといわれている」との説明書きがあります。ちなみに、三井物産の創業者益田孝も大蔵省勤務経験があります。オギノ式、の背景新潟市の繁華街「古町」で食事をしていたら、オギノ式で有名な荻野久作博士に取り上げてもらって産まれたんだよ、と店主が話してくれました。穏やかで丁寧な、慕われる人柄だったようです。恥ずかしながら、そんなすごい方が新潟で産婦人科医として活躍していたことを知りませんでした。荻野久作博士は、1882年(明治15年)に愛知県下条村(現豊橋市)の農家に産まれ、東京の私立中学に入り、東京帝国大学医学部卒業。実家の経済状態が苦しかったため、新潟の竹山病院で働くことになりました。臨床医でありながら研究を続け、子宮がんの手術方式の改良でも功績を挙げています。1975年(昭和50年)に息を引き取られましたが、自宅前の市道は「オギノ通り」と名付けられ、その後オギノ公園も作られています。新潟県総務管理部長(元財務省広報室長)佐久間 寛道56 ファイナンス 2018 Dec.連 載 ■ ニイ「ガタ」、「トキ」、書いてみませんか?

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