ファイナンス 2018年12月号 Vol.54 No.9
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花、片川喜代治在仏日本人会会長及び西村英記在仏日本商工会議所副会頭による献花が行われ、続いて木寺大使によりグロ男爵に向けた墓前の辞がフランス語で読み上げられた。「親愛なるジャン・バティスト、貴殿のことをそうお呼びするのをお許しください、というのも、それが貴殿に対して私の友情の証を立てるために、私に残る唯一の方法だからであります。そして、こうお呼びするのは、単に貴殿が1858年10月9日、すなわち今日のこの日に、日本とフランスとの間の最初の友情の条約(修好条約)に署名したからだけではなく、我々二人の間には多くの共通点があるからでもあります。」とのグロ男爵への呼びかけから始まる墓前の辞においては、日本に赴いた時のグロ男爵とこの日の木寺大使が同じ65歳であること、グロ男爵も木寺大使も同じく中国に大使として赴任していたこと、幼少期にグロ男爵はスペイン、木寺大使はベルギー・フランスとそれぞれ外国で過ごした経験があること等の共通点に触れられたのち、落下して消滅してしまったグロ男爵の墓名碑の碑文が紹介された*35。続いて、グロ男爵が日本との条約交渉において日本側の反対で実現できなかったワインに対する関税引下げが今年署名された日EU経済連携協定によりフランスを含む欧州連合産ワインの関税の撤廃の形で最終的に結実したことが述べられ、最後に「我々は、160年前、外国にほとんど閉じられていた日本の扉を勇気と果敢さを以て叩き、我々日本の全権委員とともに日本とフランスの関係の確固たる礎を築かれた貴殿のことを忘れることはありません。貴殿が我々の先祖とともに蒔いた種は、芽を出して、我々両国間の人、文化、貿易、外交といった関係に満ちた大きな森となりました。安らかにお眠りください、貴殿が我々に残してくれた富を、貴殿は今じっくりと眺めることができるでしょうから。」という言葉で締めくくられた。なお、翌日のフジテレビのニュースにてグロ男爵の墓地への墓参の模様が放映されたほか、10月19日付のサンジェルマン=アン=レイ市報にも墓参の模様が掲載された。さらに、10月15日付のパリの日本人コミュニティ紙OVNIに外交史料館訪問についての記事が掲載された。ここに、外交史料館において御対応頂いたマグロ館長、ナタン文書局公開部長、リスケヌ同部チーフキュレーターその他の方々*36、グロ男爵の墓前に御参集頂いたアベール=デュピュイ第一副市長、アンデルセン氏*37、片川在仏日本人会会長、西村在仏日本商工会議所副会頭、山田在仏日本商工会議所事務局長その他の方々、また取材に来て報道していただいた皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げたい。フランス外務省外交史料館にてグロ男爵の墓前にて*35) 墓名碑の内容は、ファイナンス7月号「日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(2)」33頁本文及び注48参照。*36) Nous sommes très reconnaissant à Monsieur Hervé MAGRO, Directeur des archives diplomatiques, à Madame Isabelle NATHAN, Chef du Département des Publics, Direction des archive et à Madame Anne LISKENNE Conservateur en chef du patrimoine, Département des Publics de nous avoir chaleureusement accueillis.*37) Nous remercions également Madame Sylvie HABERT-DUPUIS, première Maire-Adjointe de Saint-Germain-en-Laye et M. Alain ANDERSEN, délégué régional pour les Yvelines de l’Association pour la Conservation des Monuments Napoléoniens de nous avoir gentiment accompagnés à la visite de la sépulture du Baron Gros.(注) 文中意見にわたる部分は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織の見解ではありません。なお、文中の日付は旧暦は用いず、すべて太陽暦を用いています。 ファイナンス 2018 Dec.49日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(7) SPOT

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