ファイナンス 2018年12月号 Vol.54 No.9
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私はゲイユスタヘドシヱンデベレクル【ギュスタヴ・デュシェヌ=ド=ベルクール】と云る【いへる】ものにて日本御老中高官人方へ恭敬して左の事件を報す○是れ去年十月九日佛蘭西使節と日本御全權方と共に信誼を結ひ極め置たる條約を佛蘭西の皇帝第三世ナポレオン承領し私を使節として 江戸に於て 日本高官と共に其條約を取替す事あり○夫か【それが】爲め 日本政府より高官に任し其高官と私と互に談判の上 日本 大君と佛蘭西皇帝と取極たる條約各々承領せられし確證【批准書】を示すへき日限幷に【並びに】場所を定むへし○其上私 日本の御老中高官方へ報するハ私ハ佛蘭西政府より其政府の事を 日本に於て條約中のヶ條【各条】幷に交易規則に随う樣に處置するためコンシユルゼ子ラール【総領事】の官に任られたり○是を全ふし又私は 日本に於て佛蘭西政府の事を取整る威勢あるを證する書面【信任状】を御老中高官方へ定たる日限に差出し示すへし○如斯【かくのごとく】して私右職務を取行へきとの證狀を 日本政府より取交へしと存す 日本に於て佛蘭西の事件を處置せる官位私にある證狀には佛蘭西の皇帝自ら姓名を記し幷に佛蘭西の宰相姓名を載たり更に私は 日本政府の高官を厚く思ひ恭敬の意を存す○右は江戸海に在るドセラ【デュ・シェイラ】と云る佛蘭西皇帝の軍艦に於て一千八百五十九年九月六日書す是は右にある佛蘭西元書より冩し其元書と相違無し爰に【ここに】コンシユルセ子ラール姓名を記す爰にコンシユルセ子ラール館【総領事館】の印を調せり*25) 前掲外務省藏版・維新史學會編纂「幕末維新外交史料集成」第一巻219頁、「委任狀」。*26) フランス外務省外交史料館所蔵資料のマイクロフィルム。書簡に付された皇帝ナポレオン三世の信任状の訳は次の通り*25。なお、【 】は筆者による解説である。佛蘭西皇帝より日本江戸えゲイユフ【スの誤りか】タヘドシヱンドベレクルと云る人を佛蘭西のコンシユルセ子ラールに任したる證狀吾れナポレヲン天命を奉し佛蘭西國人の願に依て佛蘭西國の皇帝となり次に記載する書を見る人に恭敬を表す日本と佛蘭西と昨年の條約に随て江戸へ佛蘭西のコンシユルセ子ラールを任する事なきはゲイユスタヘドシヱンデベレクルと云るものゝ聰明正直敦厚忠心の樣子を承知の上にて吾れ其人をコンシユルセ子ラールの官職に任する證狀を致すために日本政府へ次の書簡を捧す○去れはコンシユルセ子ラールは其書簡に依りて條約と又條約に添へたる交易の規則に随て相應の職務を處置するものなり夫に依てコンシユルセ子ラールは其身分に當る威勢と官位に應すへし○然るにコンシユルセ子ラールは吾か下知に随て日本の開たる港にコンシユルの代人を差遣すへき權あるへし○其上日本の諸官に願ふは佛蘭西コンシユルセ子ラールの官位を尊ひ其職を取行ふに滯らさる樣すへし○右證據として此書簡に吾か印を調せり○夫をハレイス佛蘭西の都府に於て天主の一千八百五十九年四月廿日に書す○爰に佛蘭西皇帝名を記すナポレオン其次に佛蘭西の宰相名記すワレスキ其書面後にあり佛蘭西語の元書より寫し其元書と相違無き證據として佛蘭西コンシユルセ子ラール爰に姓名を記し又コンシユルセ子ラール館の印を調せり夫をコンシユルセネラールはジラルと云る通辯官の言葉を信し頼んて證據とすこの書簡を受け、1859年9月10日に、外国掛の老中の間部と脇坂の連名で、「今回、条約の交換のため遠海より無事来られたことはめでたいことです。信任状の写しも頂きました。条約の交換の日時は滞在の寺に上陸された上で追って打ち合わせに及びましょう。」との返書がデュシェヌ=ド=ベルクールにもたらされている。(6)条約批准書の交換に向けた準備デュシェヌ=ド=ベルクールは、1859年9月19日付のヴァレヴスキ外務大臣宛の書簡*26において条約批准書の交換に向けた日本側との折衝の状況等を報告している。以下、その内容を見ていきたい。まず、彼は、外務大臣の職務を果たす枢密会議(Conseil Privé)の2人の宰相すなわち御老中(Gorojio)に書簡を送って、自分の任務の目的を説明し条約批准書の交換式の式次第と日時について合意するための面会を申 ファイナンス 2018 Dec.45日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(7) SPOT

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