ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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巻頭言千曲川ワインバレーエッセイスト・画家・ワイナリーオーナー玉村 豊男長野県東御市の、標高850メートルの里山の天辺に居を構えて27年になる。荒廃した桑山の跡地を開墾して農園を開き、1992年にメルローとシャルドネの苗木を植えた。600坪の土地に500本。雨が少なく日照時間の多い東御市はブドウの栽培適地で、巨峰の産地としては知られていたが、西欧系のワイン専用品種を植えたのは私が初めてだった。標高が高過ぎる、土地が粘土質だから難しい、と当初は言われたが、専門家の予想に反して良質のブドウができるようになり、周囲の農家が高齢化して放棄した土地を借り足していくうちに畑の面積も拡大したので、2003年、58歳で1億6000万円の借金をしてワイナリーを建てることにした。それから15年、さいわい醸造したワインも洞爺湖や伊勢志摩のサミットで供されるなど評判を高め、現在は8ヘクタールの自社畑で3万本を超えるワインを生産する、「千曲川ワインバレー」のリーディングカンパニーとなっている。私が46歳で新規就農した東京からの移住者で、個人でワイナリーを立ち上げて成功したことから、しだいに後を追う者たちが増えるようになった。一流企業のサラリーマンや、医者、IT技術者などが、キャリアを捨てて農家になり、ブドウを育ててワインをつくりたい、といって移住を希望する。平均年齢は45歳。人生100年時代の後半生は、貧しくてもいいから好きなことをやって暮らしたい、と考える人たちだ。私は最初のうちは個人的に相談に乗っていたが、やはりきちんとした受け入れ態勢が必要だろうと感じ、彼らが栽培したブドウの醸造を委託することのできるワイナリーと、栽培・醸造・ワイナリー経営の知識を学べるアカデミーを、官民ファンドなどからの出資や国からの補助金を集めて2014年に設立した。アカデミーの卒業生は3年間で62名。そのうちの40人はすでに自分のブドウ畑をもち、3人が自分のワイナリーを立ち上げた。現在は4期生が28名在籍中だ。「千曲川ワインバレー」という言葉は、かつて養蚕によって日本経済を支えてきた千曲川の沿岸地域に、桑山の跡地を利用してワイン専用品種のブドウを植え、小規模ワイナリーの集積によって地域を変革しようという、「シルクからワインへ」を合言葉にする地方創生ヴィジョンから生まれたものである。2013年に私が唱えたこの言葉から長野県が「信州ワインバレー構想」を策定して以来、NAGANO WINE(長野県産ワイン)の生産の拡大と品質の向上は著しく、ワイナリーの数も毎年3軒以上のペースで増え続けている。世界中で、ワインをつくる国や地域が急速に増えている。ワインの消費量も、フランスやイタリアでは減っているが、これまでワインを飲まなかった人が、世界中でワインを飲むようになった。インドやタイや中国で優れたワインがつくられ、アメリカの多くの州ではワイナリーの集積による地域おこしが競争のようになっている。日本ワインがブームだ、と言う人がいるが、ブームではない、世界中でいま起こっている現象が、日本にも波及してきた、と考えるのが妥当である。このたびの表示ルールの導入により、ようやく日本でもワインの名称とそれを生んだ土地の繋がりが正しく示されるようになったことで、ワインづくりがその地域の価値を表現する仕事であることが多くの消費者に理解され、「千曲川ワインバレー」がさらに発展することを祈っている。ファイナンス 2018 Nov.1財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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