ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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琵琶峠に差し掛かる。立派な石畳が残されているが、これは昭和45年になって再発見されたものだという。この周辺が交通の主流から如何に外れていたかがわかる。石畳の長さは1kmを超し、日本一長い石畳と言われる。細久手宿は静かな農村といった風情。ところで、地名「くて」というと、小牧・長久手が有名であるが、もともとは低地や湿地を意味するものらしく、山中で比較的平坦かつ水の得られるところに宿場を開いたことが読み取れる。(5)御嵩宿、伏見宿、太田宿御嵩宿まで来ると、山道は終わり、国道21号線や名鉄広見線と合流する。ここからの中山道は、基本的に国道21号線をなぞっていくことになる。この御嵩宿周辺は亜炭を採掘していた場所として知られる。最盛期には全国産出量の四分の一を占めたという。亜炭とは石炭の一種であるが、石炭化が十分に進んでいないために水分を多く含み、得られる熱量が小さい。このため工業用には向かないが、第二次世界大戦中及び直後の燃料事情が極端に悪いときに、主に家庭用燃料として盛んに採掘が行われた。現在は全て閉山している。幹線道路である国道21号線とほぼ重複して歩いていく。中山道らしさはあまり感じられず、伏見宿については、若干古い町並みが残っている。もともと中山道は、河川の多い東海道と比べて「川止め」による影響をあまり受けないため日程が立てやすく、また、難所も少なかったので、距離は長くなっても旅人に選ばれたという。しかし、その中山道でも三大難所と言われたのが「木曽のかけ橋、太田の渡し、碓氷峠」である。その一つ「太田の渡し」であるが、急流の木曽川を渡船で渡る難所で、大きな洪水などを受け何度も渡し場が変わってきた。今は渡船はないので太田橋を渡る。太田宿には中山道会館があり、太田宿で生まれた坪内逍遥の遺品などを見ることができる。(6)鵜沼宿、加納宿、河渡宿鵜沼宿は現在の各務原市にある。西に「かかみ野」が広がるが、当時はほとんど人家もない、寂しい台地であったようだ。この「かかみ野」の成り立ちを尋ねれば、もともとは御嶽山の噴火でできた火山灰台地であり、水はけが良すぎ、また、強酸性であるため稲作には向かず、一面の原野であった。そこに大正6年に陸軍飛行場が開設された。現在では航空自衛隊岐阜基地となっているが、日本で最も長い歴史を持つ飛行場である。国道21号やJR高山本線に沿って中山道は続くが、鵜沼宿周辺からは、木曽川対岸の国宝犬山城がよく見え、目を楽しませてくれる。岐阜市に入り、加納宿はJR岐阜駅のすぐ南にある。市街地の中にポツポツと道標や碑が残されている。長良川を渡るところにあったのが河渡宿であるが、戦災などのために旧家は残されていない。余談4:岐阜基地に隣接して「かかみがはら航空宇宙博物館」がある。広大な博物館の中に、43機の展示機(飛行機や国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の実物大模型など)が置かれており、その規模にまず度肝を抜かれる。また、その展示や解説も本格的で科学的なものであり、大人が十分に楽しむことができる。小学生の息子を連れて行ったときに、子供には少し難しいかも、とも思ったが、「全部は理解できないが、きっとものすごくおもしろいことが書いてある」ということは分かるようで、また行きたい、と何度もせがまれている。なまじ子供向けに簡略化して書くよりも、きちんと科学的に書く方が、子供の「理解したい」という意欲を刺激し、学びのきっかけになるのだろう。こうして飛行機や宇宙への関心を深めてくれるのは親として嬉しい限りだ。様々なイベントも随時開催されており、先日は、国際宇宙ステーションに滞在中であった金井宣茂宇宙飛行士とのライブ交信を息子が傍聴させていただいた。この「そら博」(愛称)は、決して期待を裏切らないので、一度訪れてみていただきたい。(7)美江寺宿、赤坂宿、垂井宿長閑な田園地帯を歩いていくと美江寺宿である。もともと「美江寺」というお寺さんがあったのだが、斉藤道三の命令により岐阜市に移転した(現在は岐阜市 ファイナンス 2018 Nov.27「清流の国ぎふ」からSPOT

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