ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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りを楽しめるようになっているため、是非一度体験していただきたい。(3)治水、砂防多くの被害が出た一方で、大河川では辛うじて氾濫を免れた。これは、岐阜県が歴史的に水と闘い、治山・治水事業を実行してきた効果と言える。そして、その治水事業の歴史を遡れば、明治期に三川分流(木曽川、長良川、揖斐川の分割)を指導したオランダ人技術者ヨハネス・デレーケさんに行きつく。デレーケさんの凄いところは、単に堤防を作ったり、放水路を作ったりするだけではなく、根本的な予防策として、「治水は治山にあり」という理念の下、水源山地における砂防や植林の指導をしたことにある。現在でも、岐阜市、海津市、中津川市など、県内全域にわたって、デレーケさんが指導した砂防堰堤が存在する。そのデレーケさんの業績や、砂防の重要性については、海津市の「岐阜県さぼう遊学館」で学ぶことができる。東京の砂防会館の入り口には、赤木正雄博士の銅像が立っているが、もちろん赤木博士も立派な人だが、明治150年を機に、「砂防の父」と言われるデレーケさんのことも是非思い出していただきたいと思う。(4)台風21号9月4日、「非常に強い」台風21号が日本に上陸した。関西国際空港が水没した映像が衝撃的だったが、岐阜県内においても停電をはじめとして多くの被害が生じた。岐阜市の最大風速は39.3m。台風が襲来したのは日中だったが、職場の窓が震え、工事現場の囲いが倒れ、公園の立木が傾いた。夜には風が収まり、自転車で帰宅したが、長良橋の街灯が消えているなど、広い範囲で停電していた。翌日、近隣を見て回ったが、看板が倒れている、信号がアサッテの方を向いている、ビニールハウスのビニールが飛ばされている、などの被害が出ていた。農業被害に加えて、樹木があちこちで倒れ、その影響で道路が寸断されたり、電線が切断されたりし、約1週間停電が続いたことが県民生活への影響が大きかった。台風というと、雨の影響をまず気にしてきたが、今回の台風で風の怖さをあらためて思い知らされた。(5)地震ここのところ岐阜県では大きな地震は起きていないが、今年発生した震度6弱の大阪府北部地震、震度7の北海道胆振東部地震を見れば、決して油断することはできない。明治24年に発生した濃尾地震。震度7を記録し死者7000名を超える大きな被害を出したが、その震源地は岐阜県本巣市であった。震源地付近では上下に6m、長さ1000mにも及ぶ断層崖が生じた。この「根尾谷断層」の一部をそのまま保存してあるのが「地震断層観察館」であり、地層のずれをそのまま囲ったという、非常に珍しい建物である。当時、まだ地震の原因がよくわかっていなかった中、断層活動が原因となって地震が起こることを実証する契機となった。濃尾地震を忘れることなく、しっかりと振り返ることによって、今後の地震の備えとなるのだろう。なお、各務原市にある「岐阜県広域防災センター」の地震体験装置では、様々な震度を体験することができるほか、濃尾地震など過去の地震の揺れも体験することができる。2中山道「岐阜県に住んでいるのなら、絶対に中山道を歩かなければ。本当に素晴らしいよ。」渡辺美里ではないが、たった2行の畏友A君からのメールが私の心を決めさせた。中山道、それは徳川幕府が整備した五街道の一つであり、江戸日本橋と京都三条大橋を結ぶ、当時の国道と言える。関ヶ原の戦いが1600年であり、(もともと東山道というベースはあったにせよ)中山道が開設されたのが1602年であることから、徳川家康が如何に江戸と京都の連絡に気を配っていたかがうかがわれる。中山道には69の宿場があるが、そのうち岐阜県には17の宿場が存在する。五街道といっても、その後の道路整備や住宅開発によって当時の面影を探すのが困難な場所が多いが、中山道は山中を辿る道であったためか、比較的往時の様子をそのまま残しているところが多く、また、それぞれの宿場で街並みを保存しようという方々の動きが活発であることから、今日でも江戸時代に紛れ込んでし24 ファイナンス 2018 Nov.SPOT

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