ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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ところに手を挙げて参加する。若手2名、中堅(含む私)5名、ベテラン3名というメンバーだ。泥出しに必要なスコップはボランティアセンターで貸していただくことができた。なお、ボランティアセンターは関市社会福祉協議会が運営していたが、緊急時であるので、岐阜県職員も応援に駆け付け、一緒になって作業していた。参加者のハイエースに同乗して富之保の家に。2階建てのとても大きな家で、1階の真ん中ぐらいまで浸水した跡があった。また、家の周りのブロック塀は倒れ、排水溝は泥で埋まっているという状態だった。居間などはすでに畳を処分し、床板も剥がしてあったので、早速床下に溜まった5cmぐらいの泥を掬ってバケツに入れ、運び出す、という地道な作業を始める。特殊な技能はいらない単純作業なので、私のような者でも体力の限り掬い続ける。物凄い暑さで、2Lの水を持っていったが、飲んだ傍から汗となって流れ出てくる。大量に水を飲んだが、結局小便が出ることはなかった。若手・中堅はひたすら泥掬いを、ベテランは作業をしつつも、休憩の号令や塩飴の配布などをする。ベテランの中には70歳を越えた方もいたが、すでにボランティア3日目ということで、作業に慣れておられた。「体力はないけれども、関市に住んでいるし、時間はたくさんあるから」とおっしゃっていたが、正直、お年寄りの方々を見直した。中堅の1人は神奈川県から車で駆けつけた方で、各地で様々な災害ボランティアに従事し、大工道具も自分で用意されていた。災害初期は単純作業が多いが、徐々に、大工仕事や電気設備などの技能が求められることになる。午後になると、まだ剥がしていない床板を剥がしたり(ノコギリやバールが必要)、水回りのカウンターを壊したり(電線や水道管の処理が必要)しなければならず、経験者の力が大いに役立った。15時に作業を終え、再度ボランティアセンターに集結して解散となる。関市のマーゴの湯(銭湯)がボランティア向けに無料開放していた。こういう非常時に、コミュニティの強靭さが試されることになる。私は、岐阜県の良さは「地域のコミュニティの元気さと強靭さ、そして人の良さ」であると考えている(ファイナンス2017年11月号参照)が、総務省が公表した2016年社会生活基本調査でも、過去1年間にボランティア活動を行った県民の割合は33.4%で全国2位であった。自分のことだけでなく、お互い助け合って生きていこう、という考え方、行動が染みついているように感じる。(2)その後1か月後ぐらいに各地の被災箇所を見て回ることができた。津保川周辺では、災害ごみや泥は片付けられていたものの、浸水した家は、しっかりと乾かさないとカビやシロアリが発生することから、まだ床板は剥がしたままで乾燥させている家が多かった。乾燥という意味では、今夏の猛暑は良かったかもしれない(今年は多治見市、美濃市、下呂市で40度超えを記録した。屋外に出ると、息をするのも苦しいほどの暑さだった)。長良川は、数日すると河川敷から水は引いていったものの、そのあとに残るのは泥の海。いつも通勤で使っている河川敷の道路は、その後10日間程度は泥や水たまりのため通行することができなかった。また、秋になった今でも、ひっくり返った木船が河川敷に放置されていたり、ものすごく高い木の上の方に流木が引っ掛かっていたりして、当時の濁流の凄まじさを思い出させる。下呂市も土砂崩れなどの大きな被害が出たが、下呂小坂にある「巌立峡(がんだてきょう)」でも、木道が流されるなどの被害が生じた。巌立峡といってもご存じない方もおられるかもしれないが、一見の価値がある、自然の造形美である。5万4千年前の御嶽山の噴火により、溶岩流が四方に流れ、その末端で冷えて固まったのが「巌立」である。いきなりクライマックスというか、車で巌立峡に着いた時点で、その壮大さに圧倒される。一面に広がる大きな岩が六角形の形で聳えたっており、「柱状節理」という高校の地学で習った知識が思い出される。また、御嶽山の噴火の影響で、この一帯は日本で一番滝が多いと言われており(落差5m以上の滝が200以上存在する)、様々な滝をガイドの案内で巡る「小坂の滝めぐり」は、岐阜県の誇る「岐阜の宝もの」にも認定されている。すでに木道をはじめ散策路は復旧し、様々な滝めぐ ファイナンス 2018 Nov.23「清流の国ぎふ」からSPOT

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