ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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岐阜県総務部長 坂口 和家男▪はじめに岐阜県での暮らしには、多くの驚きがあり、多くの感動がある。多くの得難い経験もできる。本稿では、そうした岐阜の素晴らしさ、奥深さについて、個人的な感想を交えつつ、お伝えしたい。1自然災害の夏(1)西日本豪雨今回は主に中山道について書きたいと考えているが、その前にどうしても今夏の災害のことを書いておきたい。まず初めは、6月末から7月上旬にかけての西日本豪雨について。西日本豪雨は、全国で死者200名以上という大きな被害をもたらしたが、岐阜県においても、死者1名、重傷者2名、家屋全半壊248棟、床上浸水82棟などの被害が生じた。また、幹線道路や鉄道網の寸断により県民生活に大きな混乱をもたらした。今回の災害は、6月下旬から長雨が続いているところに、台風の影響により7月初旬に大雨となり、さらに、5日から7日にかけて前線が停滞し、線状降水帯による大雨が降り続いたことにより生じた。累積雨量では、郡上市ひるがの(東海北陸自動車道ひるがの高原SAがあるところ。ここに寄ると必ずひるがの高原ソフトクリームを食べてしまう)ほかで1000mmを超えた。仮にバケツを置いておくと、水が1m以上溜まるということだから、尋常ではない雨量だ。他県と比較しても、高知県の本山などに次いで、多くの雨が岐阜県で降っている。7日の大雨により、関市の津保川が氾濫し、周辺に甚大な被害をもたらした。津保川といってもご存じない方も多いと思うが、「日本の中心」である。国勢調査のたびに総務省が日本の人口重心を発表しているが(これは日本に住んでいる人が全員同じ体重であると仮定して算出する)、2010年の国勢調査の結果、津保川の流れる関市富之保周辺が中心となった。ただ、2015年の国勢調査では中之保に移動したように、毎回2kmぐらいずつ東京に近づいていっている。東京一極集中の現れである。7日は、お昼過ぎに関市などで大雨特別警報が発令され、県庁で災害対策本部が開催された。夜になって帰宅したが、私の住む岐阜市長良でも、真夜中というか8日に替わったぐらいに大雨特別警報、土砂災害特別警報、避難勧告が立て続けに発令された。防災無線が流れたが、雨音でよく聞きとれない。携帯電話へのエリアメールとテレビが情報源であった。豪雨の中で真夜中に小学生の息子2人を連れて避難所に移動することが危険であったことと、住んでいる場所が1階ではなかったことから、家で防災備品を抱えて待機していたが、結局、一晩中まんじりともできなかった。明けて8日は、岐阜市は快晴。朝、長良川の堤防を自転車で走って県庁の災害対策本部に向かったが、長良川はこれまでに見たことがないような濁流。また、その水量も堤防に迫る勢いで、太い木やビニールハウスなどがそのまま流されていた。夜を徹して作業をされていた水防団の方々が、あちらこちらで集結している。その後は連日快晴が続き、緊急対応を終えたところで、11日にボランティア休暇を1日いただき、関市でボランティアに参加した。ボランティアは、被災した方にかえってご負担をおかけしてはいけないので全て自弁。現地までの車、食べ物、飲み物、作業着、作業道具などなど。まず9時に関市役所の隣に開設されたボランティアセンターで受付、ボランティア保険に加入(500円)、スタッフの方が作業内容と人数を発表していくので、参加したい人が手を挙げる、という流れだ。「富之保で床上浸水した家の泥出し、10名」という「清流の国ぎふ」から~中山道を歩く~22 ファイナンス 2018 Nov.SPOT

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