ファイナンス 2018年11月号 Vol.54 No.8
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福岡財務支局佐賀財務事務所総務課1150年前に起きた変革(イノベーション)*1今年は明治150年という節目の年にあたり、NHK大河ドラマ「西郷どん」や、「肥前さが幕末維新博覧会」*2など幕末明治期にスポットを当てたイベントが全国各地で開催されるなど、幕末明治期に注目が集まっている。日本は今から150年前、明治という新しい時代を迎えた。徳川幕藩体制が全面的に変革され、明治政府として統一国家の基礎が固められていった時代について、当時の財務省を振り返ってみたい。財務省は明治2年(1869年)7月、中央行政機関として大蔵省という名称で創設された。戊辰戦争の戦費処理や、各藩で実施していた諸施策の引継ぎを伴う債務整理など、新政府の財政処理に取り組む一方、創設当初から、文明開化の急先鋒として、大蔵省が中心となって新制度の制定に取り組んだ。例えば、貨幣制度について、幕末から明治初頭にかけて、劣悪貨幣が流通し、国内は混乱に陥っていた。対外的な信用も崩れ、欧米列強からの外圧も受けていたなか、安定した統一貨幣制度の確立のため、明治3年に、十進法に基づく円形の新貨幣を鋳造し、翌年「新貨条例」が施行された。今に至る「円」の誕生である。ちなみに、通貨の信頼を維持するために財務省が毎年実施している貨幣大試験*3については、明治5年から開始されており、今年、第147回目を数える。貨幣制度の確立に続き、明治5年には、「国立銀行条例」が制定され、近代的な金融システムの構築に向けた努力を重ねた時期であった。また、国家財政の基盤づくりの面では、統一税制への大きな変革となった、明治4年の「廃藩置県」、明治6年からの「地租改正」についても、大蔵省は中心的な役割を果たしている。具体的には、大蔵省は「画一政体立定の議」(明治3年11月)という建議の中で、全国規模の諸制度の整備のためには藩体制では対応できないといった内容で、廃藩の要求を打ち出している。この建議がその後の廃藩置県となって、統一税制への途が拓かれることとなった。さらに、廃藩後は、懸案となっていた秩禄制度の全廃を提案し、政府歳出の40%を占める国庫最大の負担であった従来の禄制を廃止する「秩禄処分」を行っている。また、「地租改正」により、税はお米ではなくお金で納め、土地の価値をもとに納税することとなった。その結果、政府歳入の60%を占める地租収入を安定的に得ることとなった。以上のように財務省の歴史を遡ると、明治2年の大蔵省の創設から同10年ごろまでの短い期間に区切ってみても、封建的な制度から近代的な制度へ転換する大きな変革期に重要な役割を果たしていた。さらに、これらの財政制度等の変革が、当時、重点政策として進められていた「殖産興業」にも大きく貢献することとなった。例えば、近代的な製糸工場として平成26年に世界遺産に登録された「富岡製糸場」は、明治5年に官営工場として開業されている。その他にも、鉄道・電信の敷設といった社会資本整備や北海道の開拓事業などの大事業についても、大蔵省の主導などにより強力に進められ、財政面の支出は以前の時期に比べると大幅に増加した。2明治の先人の偉業を今に語り継ぐ佐賀その大蔵省の草創期の中心となり、「円を創った男」と呼ばれる人物がいる。第4代大蔵卿(現在でいう財務大臣)、大隈重信である。二度の総理大臣を務め、早稲田大学の創設者となる人物として、世間でも有名な明治の偉人であるが、大蔵省の設立当初から省内ナンバー2のポストである大蔵大たい輔ふを務め、明治6年からは7年にわたって大蔵卿として、上述の各種施策に大きく貢献し、明治期を代表する財政家として手腕を発揮した。ネクストイノベーション~明治維新150年前の変革を振り返って~10 ファイナンス 2018 Nov.SPOT

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