ファイナンス 2018年10月号 Vol.54 No.7
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大牟田り巡らしており、坑道は一番深いところで約720メートルにもなるそうです。日本でもっとも高い構造物・東京スカイツリーよりも長い(深い)ということになります。坑道の累計総距離も300キロメートルに及ぶらしく、およそ博多・鹿児島間の鉄道距離に相当するほどの距離です。もう一つ、港湾敷地内に、世界遺産・三池港の関連施設で国指定史跡・県指定有形文化財の「旧長崎税関三池税関支署」があります。三池港開港当時に設置され、昭和40年3月まで使用されていた同庁舎は、明治の面影と西洋様式を残す歴史的な建造物の一つとなっています。・旧長崎税関三池税関支署(大牟田市提供)山三池山各地域には、シンボルとなる山があるかと思いますが、大牟田市の東端には、標高388メートルの市内で一番高い山があります。四季、山肌の色合いを変える三池山は、植物、野鳥、昆虫の種類も多く、夏には、大牟田市の木として指定されているクヌギの樹木を求めてカブトムシやクワガタが集まったり、ハイキングコースであったり、阿蘇、雲仙などの眺望もよく、市民の慣れ親しんだ山となっています。この山には3つの池がありますが、昔、玉姫を襲う大蛇がいて、それをツガニがハサミで3つに切り、その血が3つの池になったということで、これが「三池」という地名の由来となっています。なお、伝説には大蛇がでてきますが、大蛇といえば、夏には活気あふれる大蛇山まつりもあります(大蛇というより、大きな龍の形をした山車が街を練り歩きます)。最近では、大蛇山まつりの大蛇をモチーフにしたキャラクター「ジャー坊」も誕生しており、同イラストのナンバープレート等もたまに見かけるなど、誕生して間もないながら、すでに親しみが感じられるキャラクターとなっています。5おわりに大牟田は、有明海沿岸の一角で、もともとは自然豊かな地域だったと思いますが、明治から戦後復興期にかけて、石炭を中心に発展してきました。現在、石炭は産出しておらず、発電所用等としてむしろ輸入していますが、いずれにしても、石炭とは切っても切れない地域です。勤務してまだ間もない筆者としては、表面的な理解・紹介しかできませんが、特に炭鉱に関しては、終戦まで多数の囚人や捕虜を動員したり、戦後においては大規模な争議や、幾度も事故があったりと、同地域が、計り知れない痛み・悲しみの上に、日本の発展に寄与してきたことが感じられます。平成9年には炭鉱も閉山し、その後沿岸地区には大型ショッピングモールができてくるなど、街の装いも変わってきています。並木道や公園には、曙杉(メタセコイア)が植樹されていますが、この木は石炭原料の一つであったと言われており、その後絶滅したとも考えられていましたが、昭和20年、中国で生育しているのが発見されると、生きた化石などとも言われ、その後日本国内でも、主に公園、並木道などで植えられています。曙杉はすらっとした景観を作っていますが、平和の象徴とも言われており、これからの未来志向を感じさせます。三池港を築港した団琢磨は、「石炭山の永久などということはありはせぬ。港を築けばいくらか100年の基礎になる。」などの言葉を残していますが、港も含め、地域の更なる発展が期待されるところです。【参考文献】・「三池税関支署100年のあゆみ」・「大牟田の宝もの100選」・「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」@2016大牟田市「ジャー坊」82 ファイナンス 2018 Oct.連 載 ■ 各地の話題

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