ファイナンス 2018年10月号 Vol.54 No.7
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2ジャポニスム「ジャポニスム」とは、19世紀、葛飾北斎の浮世絵などが印象派の画家たちに影響を与え、当時のアート界を席巻した日本趣味のこと。モネが描いた「ラ・ジャポネーズ」の着物姿の金髪の女性の絵、ゴッホによる広重の浮世絵の模写などフランス印象派の画家が浮かぶ方が多いかもしれない。それにとどまらず、ジャポニスムは、20世紀初頭のアール・ヌーボーの装飾芸術にも認められ、エミール・ガレの曲線的なガラス工芸品にはトンボや藤などの日本特有の文様が多用され、陶磁器や家具などにも応用され、世紀末フランスの日常生活にまで広く浸透していったという。文学の世界でも、ピエール・ロチ(1850-1923)の海軍士官としての長崎の体験を基にした小説「お菊さん」を描き、印象派の画家と深くかかわっていた文豪エミール・ゾラの作品の中でも日本趣味の登場人物が出てくるし、モーパッサンも日本趣味で部屋を飾りたてる中流階級の人を描いており、その時代のジャポニスムの浸透状況を表しているという。ジャポニスムについては、様々な文献がある中で、フランス政府の文化機関であるアンスティチュ・フランセ東京が、日仏交流160周年記念に提供している蔵書「ジャポニスムと近代の日本」(東田雅博)がわかりやすい。それらを基に以下ご紹介する。(1)万国博覧会とジャポニスムジャポニスムについて、あるイギリス帝国史研究者は、「日本熱とそれに関連した東洋熱の驚くべき点は、それが画家やデザイナーしか理解できないような奥義の領域にとどまらず、広くいきわたったことである。演劇を通じてそれらは全国にあまねく知られるようになった。また、広範な商業化を通じて、布地、ドレスのデザイン、個人的な装飾に至る広い範囲にわたる影響力を持った。国家行事用の街路の飾りつけに影響を及ぼし、公共建築物・博覧会会場・中産階級の家々の内装の重要な部分となった。安物の模造品は、さらに下層社会の家々を飾ることとなった。」という。ジャポニスムがどのようにして広がったのかについて、日本から送られた陶磁器の包装紙や緩衝剤などとして使用されていた「北斎漫画」が発見され、マネやドガらの画家たちに影響を与えたからという。また、江戸時代、二百数十年に及ぶ鎖国と幕末の開国のためか、ジャポニスムに決定的に重要な要因となったのは、19世紀末の万国博覧会であるという。これらの万博に展示された陶磁器、漆器、竹製品、紙、浮世絵などの展示品がヨーロッパの人々を驚愕させ、日本への憧憬を抱かせることとなったという。1.ロンドン万国博覧会まず、1862年のロンドン万博、日本が正式に参加したわけではなく、日本の展示は、初代の在日イギリス公使、サー・ラザフォード・オールコックが中心になって行ったという。おりしも江戸、大阪などの開港延期交渉のために福沢諭吉を含む竹内遣欧使節団が開会式に参加し、日本の展示物を見物しているが、「全く骨董店の如く雑具を集めしなれば見」るに堪えないとの感想も残されている。オールコックは、日本人自身の評判とは裏腹に、日本の文明を高く評価しており、著書「大君の都」で「物質文明に関しては、日本人が全ての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。機械設備が整っており、機械産業や技術に関する応用化学の知識が貧弱であることを除くと、ヨーロッパの国々とも肩を並べることができると言っても良かろう。」「全ての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。磁器・青銅製品・絹織物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術を見せている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、肩を並べることができないような品物を製造することができる、と何のためらいもなしに言える。」この日本の展示が、現地の人々にどう評価されたのか。万博のガイドブックである「国際博覧会ポピュラーガイド」は、「ここには、我々のコーブランドやミントンが製造するよりも、光沢や薄さで遥かに優れ(ロンドン万博には福沢諭吉も参加、「近代日本人の肖像」より、国立国会図書館蔵) ファイナンス 2018 Oct.37日仏友好160周年を迎えた文化交流(上) SPOT

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