ファイナンス 2018年10月号 Vol.54 No.7
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第21条は、フランスの外交官が日本側に提出する書簡の言語はフランス語としつつ、条約署名から5年間はフランス語に加え日本語でも提出することを定めたものである。3(2)の注9のとおり、日英条約交渉時に、日本側から、「5年もらえれば、自分たちはイギリス側と書簡のやりとりをするのにかなり十分な能力を有するようになるだろう」から英語を公式書簡の言語とすることで構わない、と発言し、日英条約第21条に日本側に提出する書簡の言語を英語とすることを規定した経緯があり、日仏条約の第21条はその規定をなぞったものであろう。日米条約、日露条約、日蘭条約にはこうした規定はない。(23)第22条【仏文(現代語仮訳)】第22条この平和友好通商条約は、フランス人民皇帝陛下及び日本皇帝陛下によって批准されるものとし、その批准書の交換は、署名の日に続く年の間に江戸において行われるものとする。この条約の署名時にフランスの全権委員は日本の全権委員に対してこの条約のフランス語の条文を二通手交し、かつ、日本の全権委員はフランスの全権委員に対して日本語の条文を二通手交することを、両締約国間で合意する。この四通の書類は、意味及び適用範囲は同じであるが、いずれの側においてもオランダ語が容易に理解され得ることを踏まえ、さらなる正確性のため、それぞれの条文にその正確な翻訳であるそのオランダ語版を付することについて合意し、かつ、フランス語及び日本語の同じ条について異なる解釈が与えられたときはオランダ語版に拠ることについて合意する。オランダ語版は、いかなる場合でもその内容において、最近日本によってアメリカ合衆国、イギリス及びロシアとの間で締結された条約の一部をなすオランダ語版の条文と異なるところはないことに合意する。批准書の交換が1859年8月15日より前に行われなかったときであっても、この条約は同日から効力を有する。以上の記載を証して、それぞれの全権委員は、この条約に署名し、かつ、押印した。年号安政の5年いわゆる馬の年の9月3日にあたる1858年10月9日に、江戸において作成した。印 署名(グロ男爵のもの)花押(水野筑後守のもの)花押(永井玄蕃頭のもの)花押(井上信濃守のもの)花押(堀織部正のもの)花押(岩瀬肥後守のもの)花押(野々山鉦藏のもの)【カタカナ文】第廿二条コノデウヤクノ ホンシヨハ フランスノクワウテイ ミヅカラ ナヲシルシ インヲオシ ニツポンノ タイクン オクインイタシ イマヨリ イチ子ンノウチニ ニツポンノエドニオイテ フランスノシセツト ニツポンノ カウクワント トリカハスベシ○ コノデウヤクハ ニツポンヨリハ ワブンニ カタカナヲ ソヘ フランスヨリハ フランスブンニ ニツポンノ カタカナヲ ソヘ ソノブンイハ イヅレモ ドウヤウニテ チガヒナシトイヘドモコノウヘ ナホアキラカニスルタメ ソウハウヨリ オランダゴヲ ソヘタリ ソノオランダゴハ ニツポン ナラビニ フランスニ オイテモ ゲスモノアルユヱ モシ ゲシカタキ トコロアラバ コノオランダゴヲ モツテゲシ ソレヲ シヨウコトスベシ ソノオランダゴノ ブンイハ アメリカ エゲレス ナラビニ ロシヤヨリ サシダシタル オランダノブンイトドウヤウナリ モシ 一千八百五十九年八月十五日 マデ フランスノシセツ エドヘマヰラズトモ コノデウヤクハ ソノヒヨリ モチウヘシ○ コノシヨウコノタメ リヤウコクノゼンケン コノカリデウヤクニ ナヲシルシ インヲ オスモノナリ一千八百五十八年十月九日 日本安政五戌午年 九月三日*5 アタル コノヒ エドニオイテナセリ花押(水野筑後守のもの)花押(永井玄蕃頭のもの)花押(井上信濃守のもの)花押(堀織部正のもの)花押(岩瀬肥後守のもの)花押(野々山鉦藏のもの)印 署名(グロ男爵のもの)*5) フランス外務省外交史料館所蔵のもう一通のカタカナ文では「九月三日ニ」となっている。 ファイナンス 2018 Oct.29日仏修好通商条約、その内容とフランス側文献から見た交渉経過(5) SPOT

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