ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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(4)恵那峡~ダム建設物語と雄大な渓谷美豊富な水が岩肌をぬう木曽川の急流を「電力王」福澤桃介(明治の実業家、福澤諭吉の婿養子)が、水力発電には絶好の場所と着目しダムを建設。このダムによってできた湖は、漫々と水を湛え緑美しい県立自然公園として世に知られるようになりました。渓谷を巡る遊覧船からは、ダム以前の急流を彷彿とさせる湖畔の奇岩や絶壁が観覧でき、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は水鳥が多く集まり、四季とともに訪れる人の心を癒します。3歴史・文化の交叉点江戸時代、五街道のひとつとして京と江戸を結び、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用された中山道。全長135里32丁(約534km)に69もの宿場が置かれました。その街道は、当署管内を東西に横断し、4つの宿場町が今も往時の面影を色濃く残しています。(1)馬ま籠ごめ宿 ~石畳と坂の宿場 馬籠を歩く~江戸日本橋を起点に四十三番目の宿場『馬籠』。木曽十一宿の最南端、美濃側の入口として栄え、狭い中山道の両側に軒を連ねる集落は、江戸時代の面影を今に残します。(2)落合宿・落合の石畳江戸時代の石畳は、明治に入って荷車などの交通手段の進歩により、不都合になってきたので大部分が取り除かれてしまいました。近年、長年にわたり、木の葉や土砂に埋まっていた石畳を堀り起こし、840mを完全に復元。このうち当時のままの石畳は三箇所あり、これを含めた70.8mは昭和39年岐阜県史跡に指定されました。(3)岩村城跡・城下町の街並み江戸時代、岩村藩の藩庁であった。日本三大山城の一つに数えられ、江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用し築かれました。霧の湧き易い気象までも城作りに活かされており、別名「霧ヶ城」ともよばれ、『日本100名城』に選ばれています。その永い歴史は、鎌倉時代から明治まで700年間に及び、岩村遠山氏、武田氏、織田氏などにより支配されました。また、その城下町は平成10年4月に商家の街並みとして、国(文化庁)の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。平成30年4月に始まった、NHK朝の連続ドラマ「半分、青い。」のロケ地(ふくろう商店街として登場)に利用され、主人公のふるさとの街の舞台として広く放映されています。4おわりに ~未来へ向けて~JR東海が計画するリニア中央新幹線。先行開業する「東京―名古屋間(総延長286km)」のうち、約26kmが管内を東西に横断するとともに、岐阜県駅(仮称)を中津川市西部のJR中央本線美み乃の坂さか本もと駅に近接する位置に設置、また、中部総合車両基地を岐阜県駅付近の丘陵地に設置する計画となっています。2027年の開業を見据え、管内の自治体では「リニアのまちづくり」に取り組み、その波及効果を最大限活用しようと盛り上がっています。開業した際には、是非、自然豊かな新旧の歴史が交叉する中津川に途中下車してみませんか?【写真等提供】 中津川市広報広聴課、中津川市リニア対策課、(一社)恵那市観光協会恵那峡を巡る遊覧船馬籠宿岩村城下の街並み落合の石畳80 ファイナンス 2018 Aug.連 載 ■ 各地の話題

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