ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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歴史と出世の街 浜松浜松西税務署 総務課長水越 基弘浜松1はじめに浜松西税務署は、全国に税務署が創設された明治29年11月に浜松税務署として設置され、平成元年には浜松東税務署が分割したことに伴い、現在の名称となりました。庁舎については、戦災、火災により二回焼失したこともあり幾度か庁舎移転を行っており、平成20年11月に現在の「浜松合同庁舎」に移転しました。管轄地域は、浜松市中区、西区、北区ならびに湖こ西さい市であり、総面積は541.2km2、人口は約51万人となっています。管内の主要産業は、自動車・オートバイ・楽器産業などの製造業が活発であり、東海地域屈指の工業都市です。また、三ケ日みかん、浜名湖うなぎなども全国的に有名であり、遠州灘のシラス漁も活発に行われています。なお、現在の湖西市長は財務省の出身者です。2管内の名所【浜松城】浜松城の前身は、15世紀頃に吉良氏家人巨おおみ海新しん左ざ衛え門もんのじょう尉が築城した曳ひく馬ま城であり、16世紀前半には、駿河(静岡県静岡市)の今川氏が支配していました。徳川家康が、元亀元年(1570年)に武田信玄の侵攻に備えるため、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)から曳馬城に入城し、改修を行いました。この際、曳馬という名称が、「馬を引く」と敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名・地名ともども「浜松」と改めました。徳川家康は、29歳から45歳までの17年間を過ごし、その後、浜松城は豊臣秀吉の家臣、徳川家の譜代大名に引き継がれ、天保の改革の水野忠邦など、数々の浜松城主が、幕府の重役に出世したことから、浜松城は、「出世城」と言われています。現在の天守閣は、昭和33年に再建され、浜松市の史跡として指定され、資料館として家康を初めとした当時のゆかりの品々を見学できるほか、城の周辺は、緑が溢れ、桜の名所としても名高く、シーズンには花見客で溢れ返ります。【浜松元もと城しろ町ちょう東照宮(引間城跡)】浜松元城町東照宮は、明治10年に元幕臣で静岡藩の浜松城代であった井上延陵が、浜松城の前身の曳馬城があった地に再建した東照宮です。徳川家康だけでなく、もう一人の天下人豊臣秀吉にもゆかりがあります。秀吉は織田信長に仕える前、16歳前後の3年間、曳馬城主の配下で頭ず陀だ寺じ城主の松下之綱に仕官し、曳馬城を訪れ、猿真似をして栗を食べたとの逸話も残っています。現在は、天下人となった徳川家康、豊臣秀吉2公のブロンズ像が設置され、出世のパワースポットとして脚光を浴びています。浜松城 ファイナンス 2018 Aug.77連 載 ■ 各地の話題

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