ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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連載 各地の話題~ 400年のときを経て ~「なごやのシンボル」名古屋中税務署 総務課長大野 正寿名古屋1はじめに名古屋中税務署は、全国で税務署が創設された明治29年11月に名古屋市を管轄する名古屋税務署として設置された後、名古屋市の市町村合併等を経て、昭和22年8月に現在の名称となりました。庁舎については、昭和42年11月に現在の「名古屋国税総合庁舎」に新築移転しました。管轄区域は、名古屋市中区1区で、平成30年4月現在、管内面積は9.38km2、管内人口は約8.7万人となっています。名古屋市中区は、明治37年(1908年)に設置され、本年4月には区制110周年を迎えています。2管内の名所・名物・話題等(名古屋城とまちづくり)「尾張名古屋は城でもつ」というフレーズを聞いたことがある方も多いと思いますが、「名古屋」と言えば「名古屋城」を連想する人も多いでしょう。名古屋城は、1610年に徳川家康の命令により名古屋台地の西北端で、台地の西面と北面が高さ10mの断崖という立地に築城され、それと同時にそれまで尾張の中心であった清須城を廃止して、名古屋に町ぐるみで引っ越してきました。これが世に言う「清きよ須す越ごし」です。名古屋城築城の頃は戦いに備える必要性が低かったことから名古屋城の正面には、まっすぐな道で囲った「碁盤割り」と呼ばれる99区画が作られました。家康が命じたこの区画整備が、現在の名古屋の街づくりの基礎になっています。名古屋城の西側は、「町人町」として堀川沿いに多くの商家や蔵が並んでいました。東側は、「武家屋敷」で城に近いところに武士を住まわせることで、城の防御を図りました。また、城下の南端と南東部には寺を集め、「東寺町」と「南寺町」を作りました。「寺町」は城下町の防衛という点で非常に重要で、万一戦になった場合には、寺院の広い境内に武士を集めることができました。城下町のメインストリートは本町通で、城の正門から大須観音、熱田神宮に続く通りで、通り沿いには料亭や呉服店など大きな店が並びました。また、名古屋の城下町は内陸部に位置したため、城下で必要な食料や物資は、陸路のほか堀川を利用して運ばれたことから、水運が盛んとなり堀川沿いには、多くの蔵が設けられました。現在も、堀川沿いには、当時を思い起こさせるよう建造物や橋(堀川七橋)などが残っています。現在の中区を見ると、北側は、ビジネス街や官庁街が多くあり、中央部分は、経済や文化の拠点となるような施設がひしめき合い、南側は、寺町があることから、仏壇仏具店が集まっています。まさに、家康が戦略的に造った町が現代にも至る所にその痕跡が残っています。名古屋城 ファイナンス 2018 Aug.75連 載 ■ 各地の話題

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