ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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私の週末料理日記その247月△日土曜日新々暑いので起きるのが億劫だ。冷房を強くかけた寝室で寝転んだまま、「江戸文化評判記」(中野三敏著、中公新書)を読む。江戸文学研究の第一人者のコラム集である。江戸文化を徹底的に愛し、徹底的に研究した上で、なお戯作は所詮戯作というような恬淡とした割り切りを持つ著者の論説には、浮ついたものや時流に迎合するところが全くない。爽やかにして凄みがある。例えば著者は、江戸っ子のアイデンティティに関して、「町人による武士階級への抵抗精神云々というのが、意外にもっともらしくいわれるところがなんとも腑に落ちない」とする。山東京伝の「通つう言げん総そうまがき籬」の巻頭の「…水道の水を産湯に浴びて、御膝元に生れ出ては…」にあるような御膝元意識と、花川戸の助六の紫の鉢巻き姿にあるような武士願望をあげて、立派な武士へのあこがれこそが江戸っ子本来の姿であったと説く。また、江戸の遊里に関して、「一歩なかに入れば廓外の倫理はすべて無に帰」すとの俗説を、「一歩踏み込んだとたん、そこは非日常の世界だなんて、(ジャン・コクトー監督の)オルフェの鏡かSFXの見すぎ」と切り捨て、「廓外の倫理がすべて通用するところであるのは当然のこと、…大名、武士は身分通りに尊敬され、また金持ち町人はその経済力によって尊敬されること、やはり廓外と同じである」とするあたり、痛快でさえある。さて、著者は趣味を問われると「デンキいじりが好きで」と応えるのだそうだ。伝記については、「人にはそれぞれにあまり他人には知られたくない事柄も多い」ので悪趣味なことと指摘しつつ、「趣味は悪趣味なものほど、当人にとっておもしろいことはまちがいない」とし、「せめてもの罪ほろぼしに」、対象は慕わしく思う人に限る、二流の人物に限る、たっぷり時間をかけるの三か条からなる伝記屋営業規約を定めているとのこと。その伝記屋開店の章において、真っ先に名前が挙げられているのが、自堕落先生こと山崎三左衛門相すけゆき如、俳名北華である。諸藩に出仕したが、致仕して隠棲。医業をもって生活し,俳諧に遊んだ。著者は、自堕落先生を「一種畸人伝中の一人ではあった」としつつ、「江戸の滑稽戯作文体の紛れもない創始者であり、しかも奇矯としかいいようのない振舞いのうちに、冷徹なリアリストとしての醒めた眼で世間を眺め」た稀に見る思想家でもあったと評している。「老荘風を装いながらも、決してその生なま悟さとりに逃げない」とは、著者の最大級の賛辞であろう。本書によって自堕落先生の自伝を引くと「…その平生只寝ることを業とす。月にも寝、花にも鼾し、…朝は巳み(十時)に至らざれば起きず。起きて茶飯終われば復また横になり、…黄昏には必ず盃を取り、酔至れば則ち伏す。宵惑ひして昼寝し、朝寝はいふに及ばず、喰つては寝、飲んでは寝る。…」とある。これは相当な畸人だが、驚くのはまだ早い。自堕落先生は、40歳の元文4年(1739年)、日暮里養福寺に知人を集め、自らは棺に入り、読経のうちに白衣で棺から飛び出し、皆で飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしたあげく、境内に巨大な墓碑を建てて世間から姿を消し、以後遺稿と称する文集を三部ほども出版して、その後は杳として行方を眩ませた。筆者にも、自堕落先生が慕わしき人物になってきた。本書の別の箇所で、自堕落先生が「帰去来の辞」の陶淵明を評した一文が紹介されている。「淵明ぐわんらい(元来)金持ちなるべし ふる里に田地ありて食に足り 童僕妻子を養ひ 酒も樽に満ちたりと この如くならば だれか仕官を望まん」と。なるほど、田畑があって金があるから、安心して官を辞して故山に帰ることができたのだろう。貧しければ、五斗米の為に腰を折るしかない。「ちょっとばかりピリリとした一言」である。閑話休題。同書の「あとがき」の中で著者は、江戸72 ファイナンス 2018 Aug.連 載 ■ 私の週末料理日記

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