ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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始まった、と思いがちですが、戦争は1931年9月18日に始まっています。関東軍が柳条湖で満鉄を爆破し、これを支那軍のせいにして満州を攻撃したことが始まりです。米国の中立法の適用(戦争当事国には武器や軍事物資を輸出しない)を免れるため、「戦争」ではなく「事変」(満州事変、日華事変等)であると日本は主張したのですが、こうしたことも日本国民に実相を伝えない結果になりました。中国において日本は、1931年から1945年までずっと加害者でした。こうしたことが日本人の間で十分理解されていません。(4)個人としての国際化国としての国防意識とか、アジア諸国との和解ということだけではなく、個人個人としての国際化ということも問われています。国際人として最も大切な資質は「やさしさ」と「他人の立場への思いやり」だと思います。自分のコミュニティの外にリーチアウトできるか、見知らぬ人に優しくできるか、が重要なのです。今や世の中は宗教を含めて、様々な考え方、文化、背景の人々が一つに集まってプラットフォームをつくり、議論していかなければいけない時代になっています。それによって、もう一段上の文明なり、技術の平面に上がることができるのです。我々日本人は、あまりにも同質な社会に生きて来たために、人々の間の差異が差別につながるかどうかを知る訓練が欠けているのです。受け取る側の人間がどう感じるか、が基本です。セクハラについても同様です。女性の側がどう感じるかが問題なのです。人々の意識も変化してきました。かつてはエイズという病気は、何かいやらしいもの、怖いもの、といった見方がされましたが、今では発症していても就労可能という医師の証明があれば就労させなければならないまで変わったのです。対人関係においては、「常に反射的に相手の弱い立場に身を置くこと」、これが一番大事なことだと思います。この例となるエピソードをひとつ。イラク戦争後、米国101空挺師団がモスルに駐屯していました。この部隊は、地域住民との関係に気を配ることで有名でした。ある家に101空挺師団の兵士が捜査に入ったとき、その家から100ドルのお金がなくなったことがありました。そこでその家の婦人が「捜査に来た兵士が盗んだ」と返却を求めて抗議に来たのです。兵士たちは自分たちが盗んだ証拠はない、と返却を拒んだのですが、ヘルミック将軍は「間違えるときは常に弱い立場に立って間違えろ。」と部下に言ってその婦人に100ドルを渡したのです。後日、このご婦人は閉鎖されていたモスルの銀行が再開した時、ヘルミック将軍のところにやって来て抱きつかんばかりに感謝の意を表していました。この部隊がいるあいだはモスルの治安は安定していました。ご清聴ありがとうございました。講師略歴岡本 行夫(おかもと ゆきお)岡本アソシエイツ代表1945年神奈川県出身。1968年一橋大学経済学部卒、外務省入省。1991年に退官し、同年岡本アソシエイツを設立。橋本内閣、小泉内閣と2度にわたり首相補佐官を務める。MIT国際研究センター・シニアフェロー。立命館大学、東北大学、青山学院大学で教鞭をとる。NPO法人新現役ネット理事長。政府関係機関、企業への助言活動の他、国際情勢を分析。新聞・雑誌・講演・TV等幅広く活躍。著書は、首相補佐官当時の回想録「砂漠の戦争~イラクを駆け抜けた友、奥克彦へ」ほか多数。 ファイナンス 2018 Aug.65連 載 ■ セミナー

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