ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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最も柔軟な指導者はプーチンでした。北方領土交渉の肝は2つです。1つは、1956年の日ソ共同宣言に基づき、歯舞、色丹2島を日ソ間の平和条約締結後に日本に引き渡すこと。もう一つは、北方領土交渉の対象は国後、択捉を含めた4島であること。2001年のイルクーツク声明でプーチンは、ロシアの指導者としてはじめてこの2つの原則を同時に認めたのです。しかし、東欧諸国をNATOに加盟させた米国の態度を見て、プーチン大統領は「もう西側諸国など信用できない。ロシアの国益は米国との協調の中にあるのではなく、いかに米国を押し込んで、失ったものを取り戻すかにあるのだ。」と決意したに違いありません。同時に北方領土交渉の窓もそこで閉じたのです。プーチンが柔軟性を示したにもかかわらず、日本が「4島一括」に固執したため、プーチンもこれ以上譲歩はできない、と腹を固めてしまったこともある。プーチンにとっての「復活」は、「1991年以前の強いロシアに戻す」ことなのです。ですからクリミアは絶対に返さないでしょう。ロシアはウクライナ東部のドネツィク州、ルハーンシク州での親ロシア派の動きにも関与していますし、今後はNATO加盟国となったエストニアあたりにも何らかの関与をしてくるかもしれません。さらにはポーランドあたりにまで何らかの影響を及ぼそうとしているのではないか、と欧州諸国は心配しています。プーチンは「欧州全体を不安定化させることはロシアの国益にかなう」と考えているのだろうと思います。欧州で現在、ポピュリスト政党が躍進してきているのは、基本的には反グローバリゼーションに対する民衆の波でありますが、そこにロシアがサイバーテロなどを通じて不安定化を煽って欧州社会の分裂を助長しようとしていることは間違いないでしょう。また中東にも勢力を拡大しようと動いています。シリア、リビア、イエメン、こういった国々をロシアは狙っているのです。これがプーチンにとっての「復活」です。ウ.中国:習近平国家主席習近平については、彼の心象風景を見ることが大切になります。彼は学生時代に陝西省の延安に「下放」されます。崖に掘った穴に7年間暮らしたのです。そこで彼は農民の重労働を目の当たりにし、農民に対する強い同情心が生まれたと思います。中国において格差をなくしていかなければならない、そのためにはパイを大きくするため外に出ていかなければならない、という思想がこの時期に彼の頭の中に固まっていったのではないかと私は思います。習近平は2012年の第18回党大会において国家主席に選出されました。その直後の全人代における演説の中で、彼は「中華民族の大復興の夢」ということを9回も述べました。復興というのは現在の位置よりもう一段高いところに戻ろうというものですが、具体的に何を目指すのでしょうか。彼はその後5年間中国の経済発展に取り組み、中国を世界第二位の経済大国に押し上げました。中国はもう復活を果たしたのではないか、と私は思うのですが、去年の暮れの第19回党大会において、彼は再び国家主席に選出されて、演説で「中華民族の大復興の夢」を13回も繰り返すのです。彼はまだまだ中国は復活しなければならないと思っているのです。何を更に目指すのか?清朝の乾隆帝の時代に、中国はその勢力を最も拡大し、ユーラシアにまで及んでいましたが、中国が現在進めている「一帯一路」構想、これもその流れです。これにはアフリカまで含まれます。中国のアフリカにおける勢力拡大はすさまじいものがあります。そしてアフリカやペルシャ湾に向かう中国海軍のための拠点を次々に確保しています。高利のカネを貸し付けて、返済できなくなった国から超長期の港の租借権を手に入れるのです。清の時代の地図を見ると、モンゴルは中国の一部でしたが、ここをもう一度併合することは無理でしょう。沿海州と樺太も中国の一部でしたが、ここをロシアと戦争して取り返すつもりはないでしょう。そうすると残るのは台湾です。武力を使ってでも彼の任期中に、台湾を解放するまでは、彼は「中国の大復興の夢」を言い続けるのではないでしょうか。 ファイナンス 2018 Aug.61連 載 ■ セミナー

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