ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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が分かってきました。頭を冷やして振り返ると、2012年9月のA国の奇襲攻撃すらも、ぼんやりとしていたAMRO(カンパニー)の目を覚まし、国際機関化に向けて大方針転換のきっかけを作ってくれた訳で、今になるとお礼を言いたいくらいの気持ちです。フランクフルトの会議の前後数回にわたり、後任の常所長へ引継ぎをしました。たいへん真面目な方で、業務の隅々まで把握されようとするのが印象的でした。任期末直前に、家内がシンガポールへ来訪し、アパートの片づけを手伝ってくれました。オフィスのスタッフと食事に行くと、家内の方から「うちの主人は興が乗ってくると仕事ぶりが滅茶苦茶になることがあり、随分ご迷惑をかけたことと思います。」などと謝っています。スタッフの方も「オフィスのことを考えて仕事をしているのは皆分かっていました。何回か奥さんがシンガポールへ来た際には、仕事があってもきちんと定時に帰るのに加え、目に見えて温厚だったので、ご家族の病気が早く治って奥さんが頻繁に来てくれると良いとは思っていましたよ。」などと、人を肴にして盛り上がっていました。5年ぶりに日本へ戻る(2016年6月)6月に日本へ帰国しました。参議院選挙の関係などで例年より早く、6月中旬に財務総合政策研究所の所長の発令を受けました。経済の研究所の所長ということで、大きく言えばシンガポールと似た仕事です。人数はAMROの倍くらい、研究者、民間からの出向者、もともと公務員の混成部隊になります。1985年の創設以来32年目の組織です。財務省の組織がしっかりしているため、シンガポールで苦労した日程管理とか、予算管理とかは、下の人が良く相談、検討したものが上がってきます。後ろ向きの仕事も多数あるのですが、過去の経緯とかその時の対処方針とかも揃っていて、スタッフも懸命に資料作りなどで助けてくれます。居心地がよいのは確かですが、AMROであったような何でも初めての興奮感はないような気がしました。ハンドルを切ろうとしてもハンドルを切らせないような仕組みがあって車体はそのまま真っすぐ進んでいきます。何人かで手漕ぎボートで荒海に乗り出すのと、大型船のコンピューター制御の操舵室で狭い海峡を抜けるのとの違いが頭に浮かびました。必要があってAMROの時の自分のスピーチを読み返してみると、そもそも論からの新しい枠組みの提言をしていて、霞が関の住民の目からは羨ましく思われることがありました。研究所に限らず、好奇心を持って物事を知りたい、という雰囲気が東京では薄れているのではとの心配を離任前のスタッフとの写真(2016年5月)写真提供AMRO56 ファイナンス 2018 Aug.連 載 ■ 国際機関を作るはなし

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