ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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(4)第3条【仏文(現代語仮訳)】第3条箱館、神奈川及び長崎の町及び港は、1859年8月15日より貿易及びフランス臣民に対して開かれるものとし、次に掲げる名前の町及び港も、次のとおり定める時期において、同様とする。新潟又はその町が適切に入港できる港を有さない場合には日本の西の海岸に位置する他の一の港については1860年1月1日より、兵庫については1863年1月1日より、開かれるものとする。これらのすべての町及びその港において、フランス臣民は、そのために定められる区画に常時居住することができる。フランス臣民はその場所において土地を賃借し、家屋を購入し、住居及び店舗を建設することができる。しかしながら、倉庫又は住居の建設の名目の下、その場所において、いかなる砦又は軍事要塞も建てられないものとし、この規定を忠実に遵守していることを確認するために、日本の権限ある当局は、時々これらの地において建築され、改造され又は修繕されているすべての建設物の工事を検査する権利を有する。フランス臣民が占有し住居を建設できる区画は、それぞれの地において、フランスの領事が日本の権限ある当局と協力して定めるものとする。港の規則についても同様とし、領事と地方の当局がこの件について合意に達しない場合には、この問題は合意をもって決定を行うフランス外交官と日本当局に提示されるものとする。フランス臣民が居住する地の周囲には、日本当局は、その地からの自由な出入りを妨げうる壁、障壁、囲いその他すべての障害物を建設又は設置しないものとする。フランス臣民は、次に示す範囲で区切られる地域において適切と思われる場所に赴く自由を有する。神奈川から、川崎及び品川の間の江戸湾に注ぐ六郷川まで、その他の方向については十里の距離まで、フランス臣民は赴くことができる。箱館については、すべての方向に十里の距離まで行くことができる。兵庫についても、十里手前の距離までしか近づいてはならない京都の方向を除き、すべての方向に十里までとする。兵庫に赴くフランス船の乗組員は、兵庫と大坂の間の摂津湾に注ぐ猪名川を越えてはならない。これらの距離は上記で示したそれぞれの港の御用所又は役所から陸上で計測されるものとし、里は3910メートルに相当するものとする。長崎においては、フランス臣民は、周囲の御料所内のいずれへも赴くことができる。新潟又はそれに代わる可能性のある港についての境界線は、フランス外交官が日本の権限ある当局と協力して定めるものとする。フランス臣民は、商業を行う場合に限って、1862年1月1日より江戸市中に、1863年1月1日より大阪市中に居住することが許される。これらの2つの町のそれぞれにおいて、フランス人が住居を賃借することのできる適切な区画一ヶ所を、フランス外交官が日本の権限ある当局と協力して定めるものとし、フランス人がこれらの町の周囲において越えてはならない境界線についても両者が定めるものとする。【カタカナ文】第三条一千八百五十九年八月十五日ヨリ ハコダテミナト ナラビニ ムラ カナガハミナト ナラビニ ムラ ナガサキミナト ナラビニ ムラニ オイテ フランスノ ヒトビト シヤウバイヲ イタスベシ○ ホカノミナトハ サノトホリ ヒラクベシ一千八百六十年正月朔日 ニヒガタヲ ヒラクベシ モシソノ ミナト イリクチ アシキセツハ ニツポン ニシノカタニテ ベツニ ヒトツノ ミナトヲ ヒラクベシ一千八百六十三年正月朔日 ヒヤウゴミナト ナラビニ ムラヲ ヒラクベシ○ ヒラキシ ミナトニ フランスノ ヒトビト スマヰスベシ ソノトコロハ イツカシヨニシテ チンギンヲ イダシテ ヂメンヲカリ クラヲタテ イヘヲタツベシ○ シカシ フランスノヒト クライヘヲ タツルト ニツポンノヒトヲ イツハリテ ダイバ トリデノルヰヲ タツルコトナラズ ソノコトヲ フランスノヒト マモルガタメ フランスノヒト イヘヲ タテ マタ フシンヲスルセツハ ニツボンノヤクニン トキドキニ ミアラタムベシ○ フランスノヒト クラ イヘヲ タテ スミヰルトコロハ ニツボンノヤクニント フランスノコンシユルト サウダンノウヘ サダムベシ○ ミナトミナトヘサダムル ハフハ ニツポンノ ヤクニント フランスノ コンシユルト サウダンノウヘ サダムベシ シカシ ニツポンノヤクニント フランスノ コンシユルト ミギサウダントヽノハザルトキハ フランスノ ミニストルト ニツポンノ セイフトヘ マヲシタテ サウダンノウヘ トリハカラフベシ○ フランスノヒト スミヰルトコロヘ ニツポンノ ヤクニンヨリ カコヒ カキ ナラビニ ヘイナド イタスコトナシ○ マタデイリノ サマタゲニ ナラザルヤウ イタスベシ○ フランスノヒトハ ツギニ サダメタル トホリニ アルクベシ カナガハヨリ ロクゴウトイフ カハスヂマデ アルクベシ ソノカハヽ カハサキヨリ シナガハマデノ ナカニアリ○ ソノホカハ ジフリマデ ユクベシ○ ハコダテハ ジフリヨハウ カツテニ アルクベシ○ ヒヤウゴモ ドウヤウナリ シカシ キヤウトノハウヘ ユクニハ イヅレノトコロヨリモ キヤウトヨリ ジフリ テマヘマデユクベシ○ フランスノフ子ノ ノリクミハ イナガハヲ ワタルベカラズ ソノイナガハヽ ヒヤウゴト オホサカトノ ナカニテ セツツノウミニ イルカハナリ○ リスウノコトハ ゴヨウシヨ マタハ ヤクシヨヨリ ヲカノミチヲ ハカリ サダムヘシ○ フランスノヒト ナガサキハ ソノマチノメグリニアル ゴレウシヨダケハ カツテニ ハイクワイ イタスベシ○ ニヒガタ マタハ ソレニ カヘル ミナトノ ハイクワイノコトハ オツテ フランスノ ミニストルト ニツボン カウクワント サウダンノウヘ サタムベシ○ タヾ シヤウバイヲ イタスタメニノミ 一千八百六十二年正月朔日ヨリ エドヘ フランスノヒト ザイリウスベシ マタ 一千八百六十三年正月朔日ヨリ オホサカヘ ザイリウスベシ マタ ミギ ニカシヨヘ フランスノヒト チンギンヲ イダシテ イヘヲカルベキ ヒトツノバシヨ ナラビニ ハイクワイノコトハ ニツポンノ カウクワント フランスノ ミニストルト サウダンノウヘ サダムヘシ【漢字かな混じり文】第三條神奈川長崎箱館港及ひ村は安政六未年七月十七日 西洋紀元一千八百五十九年八月十五日 に佛蘭西人交易の為に開くへし新潟港もし其港を開き難き事あらは日本西の方にて別に一ツの港並村を午八月より凡十五ヶ月の後より 一千八百六十年一月一日 開くへし32 ファイナンス 2018 Aug.

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