ファイナンス 2018年8月号 Vol.54 No.5
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が彼自身も宰相によってそれから解放されている。今日では大君は目に見えない形で第二のミカドとなっている」「ミカドの代理人、又は世俗的皇帝は、同時に大君であり将軍である」*15と述べている。すなわち、フランス側は、日本には皇帝が2人いて、そのうち条約締結権能を有するのは宗教的皇帝(天皇)の代理人である世俗的皇帝(将軍)であると考えていたようである*16。ところで、前文のフランス人民皇帝と日本皇帝の順番であるが、10月2日の第5回協議でなされた合意では、仏文ではフランス人民皇帝を先に登場させ和文では日本大君を先に登場させることとなっていた。しかし、フランス外務省外交史料館所蔵の和文も、日本側の条約集上*17の和文も、フランス人民皇帝が前に出てきている。実は、日米・日露・日英の各条約では和文では日本大君が前に出ているので、単純に日仏条約では条文作業時にこの点を忘れただけかもしれない*18。次に、フランス側全権のグロ男爵(Jean Baptiste Louis GROS)の名前の表記であるが、和文(漢字かな混じり文)上で、「シユワンハベテイステルイスゴロノカミ」と記述されている。今なら「ジャン=バティスト=ルイ・グロ」と記述されるので当時の人はうま*15) 前掲ド=モジュ著「1857年及び1858年における中国及び日本使節団の回想」296頁及び328頁。*16) さらに、フランス語は外来語の使用を嫌ってきたことから、「大君」という日本語を直ちに条約に使うことが憚られたのかもしれない。*17) 締盟各国条約彙纂第一編(外務省記録局)291頁。*18) なお、日蘭条約の和文でもオランダ国王が前に出ている。*19) 西堀昭著「フランス外交使節ジャン・バチスト・ルイ・グロ(1793-1870)について(1)」69頁にメルメ=カション神父がカタカナ文に訳した皇帝ナポレオン三世の親書が掲載されている。なお、親書では「グロノカミ」、条約では「ゴロノカミ」と微妙に表記が異なる。*20) 前掲ド=シャシロン著「日本、中国及びインドについての記録」82頁。く聞き取れなかったのかと思ってしまうが、実際の発音は「ジョン=バティストゥ=ルウィ・ゴ」に近いため今の日本語表記も不正確で、昔のことはあまり笑えない。ところで、グロ男爵について、なぜゴロノカミと「カミ」が付いているかであるが、メルメ=カション神父が訳した皇帝ナポレオン三世から将軍への親書においては「グロノカミ」に全権を委任したと書かれており*19、これを受け条約上も「カミ」を付けたのではないかと推察される。元々フランス側は「守(かみ)」は大公や公と同じく領主を指す言葉と考えていたが、どうも高貴な出と示す役割があるだけで、フランスで姓の前に置かれてしばしば貴族出身を表す「ド」(de)と同様の言葉であるとの理解に至ったとも記されており*20、それならば男爵を表す言葉として「カミ」を用いよう、ということだったのかもしれない。日米、日蘭、日露、日英の各条約では欧米側の全権委員の名前に「カミ」を付しておらず、「ゴロノカミ」の表現にはフランス的な遊び心が反映されているようにも見える。なお、日本側の6人目の全権委員が仏文で「駒井左京頭」、和文で「野々山鉦藏」と異なっている点は3(1)で述べた通りである。(2)第1条【仏文(現代語仮訳)】第1条フランス人民皇帝陛下、その相続者及び承継者並びに日本皇帝陛下の間並びに両帝国の間において人及び場所を問わず、永久の平和及び恒常的な友情が存在する。それぞれの臣民も皆同様に、各締約国において、人の及び財産に対する全体的かつ完全な保護を享受するものとする。【カタカナ文】第一条フランスノ クワウテイ マタ ソノアトツギト ニツポン タイクン マタ ソノアトツギト ナラビニ フランス ニツポン リヤウコクノ アランカギリ シンギヲ ムスビ マタ ムツマジクスルコトヲ サダメタリ○ フランスノ ヒトビト ニツポンヘ ヂユウキヨイタサバ ニツポンノ タイクンヨリ ソノヒトビトヲ 子ンゴロニ アツカヒ マタ ニツポンノヒトビト フランスコクヘ ヂユウキヨ イタサバ フランスノ クワウテイヨリ ソノヒトビトヲ 子ンゴロニ アツカフベシ【漢字かな混じり文】第一條佛蘭西國と日本國と世々親睦なるへし佛蘭西國の人日本に居留せは其人々を日本において懇に扱ふへし日本國の人佛蘭西に居留せは佛蘭西においても又懇に扱ふへし30 ファイナンス 2018 Aug.

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