ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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に重要港湾としての地位を獲得しました。苫小牧港は、工業港として開発整備に多額の国費が投入される国家的な事業として、例外的な措置として昭和40年7月に地方自治法に基づく一部組合方式による道と市の共同管理が、苫小牧港管理組合(以下「管理組合」という。)の発足により開始されることとなります。税関の組織は、昭和39年5月に函館税関室蘭税関支署苫小牧分室を開設、この後同支署苫小牧監視署、同支署苫小牧出張所、そして昭和50年7月に函館税関苫小牧税関支署に昇格し現在の組織になっていきます。昭和42年、苫小牧出張所へ昇格苫小牧港は、昭和38年4月の開港を前にして重要港湾に指定されたことは前述しましたが、その後、昭和41年に外国貿易港、昭和47年4月フェリー就航、昭和55年苫小牧港東港開港とその地位を着々と固め、この間、苫小牧港(西港)は、輸出が紙パルプ、化学薬品、輸入が原油、木材、紙パルプ、移出が輸送機器、石炭、重油、石油製品、移入が鉄鋼、セメントなどの主要品目により、昭和50年には貨物取扱量で全道1位を占めるまでになりました。昭和53年には4,000万トンを超え、全国18位、4年連続全道第1位になりました。この頃から特定重要港湾指定への運動を続け、昭和56年5月に国内18番目、道内では室蘭に続いての港湾最高ランクの特定重要御港湾へ昇格することになりました(昭和56年5月26日付官報に政令第186号として公布)。苫小牧港(西港区)西港区は、貿易の拡大、国際物流のコンテナ化に伴い、その様相を大きく変えていくことになります。昭和59年3月勇払東埠頭のコンテナ埠頭化、昭和63年石炭輸送公共臨港線廃止、平成4年1月水面貯木場の埠頭転用、平成4年10月晴海埠頭岸壁の大型船対応化、平成4年12月中央南埠頭の拡張、平成5年石炭埠頭の閉鎖(コンテナ埠頭への転換)、と昭和38年の開港当時からの港の様相は時代の流れと共に変貌していくこととなります。(2)東港区の開発東港区は、第3期北海道総合開発計画による工業生産の拡大と産業構造の高度化を推進するため、苫小牧東部地区の大規模工業基地開発計画に基づいて、昭和51年8月に建設に着手し、着工後丸4年という異例のスピードで、昭和55年10月に一部供用開始となりました。一部供用開始の第1船となったのは、苫東基地への立地第1号である北海道電力苫東厚真発電所の燃料用石炭(国内炭)を積載した船舶(君島丸)で、西港同様第1船が石炭積載船ということになりました。東港は開港したものの、関税法と港則法上では従前のままであったため、外国船の入港はできませんでした。昭和57年7月、東港は関税法及び港則法上も苫小牧港に含まれ、現在のように外国貿易船が直接入港できるようになりました。東港は、昭和55年に北海道電力の揚炭桟橋に第1船を迎えた後、石油備蓄基地の原油タンカー受け入れドルフィン、コールセンターの石炭岸壁と供用を開始しますが、いずれも企業や第三セクターの専用岸壁でした。昭和63年7月ようやく公共埠頭の東港中央埠 ファイナンス 2018 Jul.91連 載 ■ 各地の話題

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