ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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効果は弱くなる。Shen and Yang(2018)も、理論モデルを用いてシミュレーションを行い、賃金の下方硬直性により、好況期よりも不況期の方が乗数効果は大きくなることを示している。好況期では、財政支出による雇用増加の効果が限定的である上、期待インフレ率が上昇して金利も上昇するため、民間消費がクラウド・アウトされて、乗数効果が小さくなる。不況期では、財政支出による雇用の増加の効果は大きくなると同時に、下方硬直性により下がり切れていなかった名目賃金が本来の水準に達するまでは名目賃金の上昇は抑制され、結果としてインフレーションや金利の上昇が抑制されるため、民間消費のクラウディング・アウトの効果が小さくなり、乗数効果は大きくなる。一方で、Shen and Yang(2018)は、財政支出の規模は大きいほど効果は薄くなることも指摘している。その理由は、規模を拡大したことでクラウディング・アウトの効果が雇用を拡大する効果よりも大きくなるためである。3.3.ゼロ金利本項では、金利がゼロ、またはゼロに近い場合に乗数の値がどうなるのかについての先行研究をサーベイする。Christiano et al.(2011)は、ゼロ金利政策下では乗数は1を超えるという理論モデルを示した。Woodford(2011)、Eggertsson(2011)等も、ゼロ金利政策下の財政政策の効果は大きいことを示している。ゼロ金利下で乗数が大きくなる理由について、Christiano et al.(2011)は以下のように述べている。ゼロ金利政策下で財政支出を増やすと、生産量が増加して企業の追加的コストやインフレ期待は高まる。しかし、名目金利はゼロに固定されているため実質金利は下がる。これにより、民間投資が増えるため、乗数が大きくなる。日本のゼロ金利政策を扱った論文としては、Miyamoto et al.(2017)*5が挙げられる。Miyamoto et al.(2017)*5) Miyamoto et al.(2017)は、日本のデータについて、他国と比較してゼロ金利の長期間のデータが存在している、金利がゼロあるいはゼロに近い期間に不況と好況どちらも経験しているため不況の影響を区別することが出来る、等の理由で、ベストなケースだと述べている。*6) Crafts and Mills(2013)はその理由として、1930年代のイギリスでは、実質金利があまり下がらなかったため、乗数が低かった可能性を考えている。また、この時期は対GDP比の政府債務の割合が少なくとも140%を超えており、将来の増税を見込んだ家計が消費を抑えた可能性も指摘されている。*7) 政府債務残高と財政政策の効果の関係については、Bi et al.(2016)がモデルを用いて分析を行っている。一定の条件下では、政府債務残高のレベルが大きいと財政政策の効果は弱くなるものの、政府債務残高と財政政策の効果の関係は単純ではなく、労働供給への資産効果等を細かくモデルに組み込んだ場合、結果は変わってきてしまうとしている。は、1980年~2014年の日本の四半期データを使ってゼロ金利政策下の財政政策の効果を分析している。通常時では乗数は1を下回るが、ゼロ金利政策下では乗数は1を超えるという推定結果を示した。また消費や投資、失業への影響については、通常時では消費や投資、失業に対してマイナスの影響であったり有意な結果が見られなかった一方で、ゼロ金利下では財政支出は消費や投資を増やし、失業を減らすとの結果が示されている。ゼロ金利においての財政政策の効果については、乗数の値が1を超えなかったと主張する研究も存在する。Crafts and Mills(2013)は、低金利であった戦間期(1920~30年代ごろ)のイギリスの四半期データを用いて、名目金利が低い状態であるにも関わらず乗数は0.5~0.8と1を下回ったという結果を出している*6。また、Kirchner and van Wijnbergen(2016)は、銀行セクターが国債を吸収する場合、民間部門への資金供給及び民間投資の減少により乗数効果が大きく損なわれ、ゼロ金利政策下でも、赤字国債により実施された財政政策の乗数が1を下回ることを例示している。3.4.政府債務残高Ilzetzki et al.(2013)は、44か国の四半期データを使って、財政支出の効果の国の特性による差異を分析している。その中で、政府債務残高が大きい国において、長期的な乗数の値は負になるという結果を出している。これは、政府債務残高が大きいほど、財政支出の増加が、「財政引き締めが近いうちに起きるのではないか」という家計の予想を引き起こし、それが現在の消費を減らして財政政策の効果を相殺してしまっている可能性があるからだとされている*7。Kirchner et al.(2010)、Nickel and Tudyka(2014)はヨーロッパのデータを使って、対GDP比の政府債務残高の増加が乗数の値に負の影響を与えていることを示している。特にKirchner et al.(2010) ファイナンス 2018 Jul.61シリーズ 日本経済を考える 79連 載 ■ 日本経済を考える
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